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キノコ雑考=ブラジルに於けるキノコ栽培の史実とその背景=元JAIDO及びJICA 農水産専門家 野澤 弘司 (14)

6−7)その後、約一ヶ月して移住者としての入国許可書が交付された。更に3〜4ヶ月後には台湾からの移住者が、アフリカのケープタウン経由のオランダ船でサントス港に着いた。
6−8)移住者は「キノコ村」が創設される予定のモジ郊外の仮設住宅に居住し、永住権取得、住民登録、銀行口座開設、宅地兼キノコ栽培用地の購入と登記、運転免許証の書き換え、自家用車購入、住宅や栽培菌舎の建造、電力と電話の架設、子弟の入学手続き等を行った。
6−9)これ等移住者としての必要手続き、生活相談、キノコ栽培事業の準備等はマンダリン(中国の標準語)と広東語を解する現地の台湾系旧移民の黄キロウに頼キントンが協力した。
*)キノコ村の創設には一切の公的機関の支援を煩わす事も干渉される事も無く、約1年間でモジから延伸する旧リオ街道のkm11地点から沿道の両側に逐次増設して行った。当時を回顧するに、もし公的機関が移住地を創設して移民を誘致するとしたら、例え40家族でも専門家による候補地の調査、相手国行政の認可取得、FEASIBLE STUDY(計画実施可能性の調書)作成と認可、建設予算審議、総合的最終企画書作成と認可、移住者募集、渡航費及び営農資金貸与、移住者引率の監督官や現地管理者派遣等々、完成迄には莫大な経費と歳月を要したと思われる。
 何はともあれ台湾からのキノコ移民40家族の誘致により、ブラジルのキノコ業界での生産と流通の基盤は質量ともに安定と増産体制への近代化が醸成される礎が構築された。
*)1966年頃;アチバイア在住のオスカル・モレーナや、カンピーナス近郊のアメリコ・パゾニ等は、アメリカ式完全空調設備による菌舎を建設し終年栽培の先駆者となる。
*)1969年;生産量の激増に伴い台湾系の有志が共同で、モジ郊外のヴィラ・スイッサに“LUCA”と称するマッシュルームの瓶詰工場を設立し、生産過剰による価格変動を回避し、収穫後のキノコの品質の経時劣化に対処するなど、近隣栽培者に有利な営農手段を提供した。
*)1972年;マッシュルーム市場での需要拡大に伴い、キノコ産業は新興農産物として、マスコミ及び社会的な脚光を浴びてきた。これにより市中銀行は好条件での融資を栽培者に提供し、更なる栽培意欲を煽るなどキノコ村創設の意義に対して現地社会の認識と好評を得た。
*)同年頃; 台湾系栽培者は台湾から導入したノウハウ、即ち菌舎の壁から屋根瓦の下の天井までの菌舎全体をビニールで覆い、菌舎内部に蒸気を充満させる事により、滅菌と床入れした菌床堆肥の二次発酵を促進させる方策を導入した。更には連続栽培の為に消毒を兼ねた様々なノウハウを台湾から導入し、品質向上と菌床単位面積当りの年間収量は飛躍的に向上した。
*)当時の菌床材料;菌床材料は堆肥の発酵の良否を決めキノコの収量や収益を左右するが、従来の菌床堆肥の材料は稲藁が主体で栽培コストに占る割合は大きかった。しかし田圃で藁の加圧梱包まで機械化されるや使い易く、トラックの積載量も増加し運賃も低減されたので飼料、緩衝材、建材、製紙原料等と用途は多岐に及び需要は激増した。

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