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特別寄稿=日本とセルビアの友好物語=独立、民主化の長い戦い経て=サンパウロ市在住・酒本恵三

セルビアの位置(Милан Јелисавчић, via Wikimedia Commons)

 セルビア共和国はバルカン半島の中心に位置し、ヨーロッパとアジアを結ぶ交通の要衝地です。
 あまり馴染みの無い国かもしれませんが、東日本大震災で、いち早く支援のための行動を起こしてくれた国ということを知っていますか。
 セルビアは東欧の小さな国。社会主義国でありながらソ連と対立し、ソ連陣営に睨まれつつも西側諸国と何とか上手く外交関係を築いて苦難を乗り越えてきました。
 しかし、ソ連崩壊の前後から戦争の歴史が続きます。かつてユーゴスラビア連邦と呼ばれ、コソボ紛争でNATOの爆撃を受けた国と聞けば、思い出す人もいるのではないでしょうか。
 ソ連からの独立、社会主義陣営からの独立、民主化への道のり…。長い長い戦いを経て、今のセルビアという国が存在します。
 最近まで紛争に巻き込まれていたこの国では、失業率20%以上、平均月収が4万円。決して裕福とは言えない国です。しかし、そんなセルビアからの義援金は、震災後の7カ月後の集計で、世界第5位、ヨーロッパでは何と第1位の金額になっていました。
 共働きが当たり前で、2人に1人以上が仕事に就けない厳しい経済状況の中での日本に対する支援でした。なぜ、セルビアは日本のためにこれほどまでに寄付をしてくれたのでしょうか?
 理由は、セルビアの過去にありました。西暦2000年。コソボ紛争が終わり、NATOの爆撃でボロボロになったセルビアの首都ベオグラード。
 コソボの独立を武力で抑え込もうとしたセルビアにも責任の一端はあるとはいえ、近代化された軍隊の組織的な爆撃を受ければ首都機能など簡単に壊滅してしまいます。
 国際的にもコソボのアルバニア人を虐殺したとして非難の目にさらされていたセルビアを真っ先に支援したのは日本でした。紛争における敗北で政権が交代し、本格的に民主化を進めていこうという雰囲気が出来ていたというのもありましたが、そこには日本の存在感をアピールしたいという狙いもありました。
 とはいえ、セルビアにとっては渡り舟。紛争からの復興、民主化への積極的な取り組みに際して、日本の医療提供、教育支援、公共交通機関への支援は、セルビア人にとって強い記憶に残りました。
 普段の生活に欠かせないバスも、その一つ。今でも、日の丸を付けた100台近いバスが、セルビアの街を走り、支援で建てられた学校や病院で多くの人が救われています。

首都ベオグラード(The original uploader was Bobik at Serbian Wikipedia., via Wikimedia Commons)

 さらに驚くべき事に、一世紀近く前の第一次大戦時のことです。ヨーロッパの火薬庫の中心にあり、世界大戦の原因にもなったセルビアは大戦で大きな被害を被りました。その際にも、日本からの支援があり、その痕跡が首都ベオグラードの大使館に残っているのです。
 こうした支援の積み重ねが人々の記憶に残り、震災時の大きな支援に発展していきました。この写真は東日本大震災の時に撮影されたもの。セルビアの首都ベオグラードにある共和国広場に数百人の人が集まって書いた「赤と白」日本の国旗の人絵文字。日本を支援とする「しるし」とともに、沢山の応援メッセージが寄せられました。
 「日本がセルビアにしてきてくれたこと、その全てに感謝します。君たちは見返りを求めずに、いつもいつもセルビアを助けてくれた」
 「セルビア人として言わせてください。あなた達は、今まで沢山の事を私たちにしてくれました。だからこれは、わずかばかりの恩返し。がんばってください!」
 「地震の被害に遭った日本のことを思うと悲しくて仕方が無い。皆で協力して日本を支えていこう」
 「日本は、私の母校を修復してくれた国。しかも自分の誕生日に大好きな日本で地震が起こったから本当に辛かった」
 「日本って実は、コソボの独立を認めてくれた国なんだよね。クロアチアも、セルビアも、ボスニアも、マケドニアも…。俺たちは全員で日本をサポートしていくつもりだ」
 「いついかなる時でも、ぼくらは日本のそばにいるからね」

セルビアの大洪水に日本から寄付続々

東京の駐日セルビア大使館の国旗と国章(Senkaku Islands)

 2014年5月16日、セルビアで100年に一度の集中豪雨による大洪水が発生し、全人口の4分の1が暮らす地域と農地の大部分が水没しました。セルビア被害はGDPの約7%に相当する20億ユーロ(約2700億円)にも上ったのです。
 「日本人として、人として、受けた恩は返したい」いまこそ、自分に出来る形で行動を起こそうと、セルビアへの支援の輪が日本内のネットで広がりました。続々と寄せられた日本からの “ 恩返し ”に、ネナド∙グリシッチ駐日大使は「これほどの日本からのサポートに驚いている」と感謝を示しました。
 大使館によると、若い世代を中心に連日約50人が直接寄付に訪れたそうです。現金書留、口座振込での寄付も多く、添えられたメッセージには、震災直後の支援に感謝する言葉が多く寄せられました。
 マスコミもセルビア大洪水のニュースを伝えてはいましたが、インターネットがなければここまで支援の輪が広がりませんでした。
 インターネットやSNSが、人々の善意や「借りた恩は返す」という義理人情を広める「武器」にもなったのでした。セルビア人は日本の勤勉さや技術力を高く評価していて日本が大好きです。
 武道をやる人が多く、作家の村上春樹さんの人気も高い、親日国です。約130年前の旧王国時代に新国王就任を伝える国書を明治天皇と取り交わすなど、歴史的にもつながりがあります。
 グリシッチ大使は、貧しい国でありながら多額の寄付が寄せられたことについてこう話します。「セルビア人は熱情的なため、日本の震災の状況を見てショックを受けた。それだけに貧しくてもできるだけ支援しょうとまで思ったのだろう。これからも困ったときに手を差し伸べあえる関係でいたい」
 セルビアへの感謝を忘れずに、ぜひ「困ったときに手を差し伸べ合える関係」。そうでありたいと思います。(インターネットより)

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