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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ

第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第5回=ジュンケイロポリス=鉄道開通したが車の時代に=「第2のバストス」とも

 荒牧謙一さんは「1950年には日本人会はできていた。米のサッコ(袋)の上にみんなで座って相談していたのを覚えているよ」と思い出す。「60~70年代には〃第2のバストス〃と呼ばれて、日系が500家族はおり、植民地が12、3あった。だからミス・ジュンケイロポリス(美人コンテスト)には15人も候補がでた。野球や相撲も盛んだった」と往 ...

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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第4回=ジュンケイロポリス=戦後の原始林開拓の現場=今は2時間、当時は3日3晩

 川崎千恵子さん(78、二世)は、「50年から原始林の開拓ができるようになって、52、3年に大挙して入植した。一番多い頃には500家族ぐらい居たのよ。田舎に住んで農業やっているのは、ほとんど日本人だった。みんなヤマを開拓してカフェを植えた。資金のある人はカフェ精製場を作ったわ。ガイジンが2軒、日本人が3軒という時代もあった。今は ...

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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第3回=Oクルス=立派な会館に一行驚く=「時間短すぎて勿体ない」

料理の準備をした婦人会のみなさん

 一行は、同地の婦人部手製の料理に舌鼓をうち、バス旅行の疲れを癒した。乃美会長によれば、同地で行われる最大の行事は西本願寺主催の紅白歌合戦、その他、文協主催の敬老会や新年会も行われている。「4年前まで日本語学校があったが、JICA青年ボランティアが来なくなり消滅してしまった」と残念そうにのべた。 この町で生まれ育ったオズワルド・ ...

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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第2回=Oクルス=「市民にとって歴史の恥部」=正信偈の中、焼香の列並ぶ

歓迎の言葉をのべる乃美パウロ会長

 マギノニ記者はさらに「あの時、町では日本人を探し回って殴る蹴る引きずると酷いことをしたと、大きくなってから聞いた。祖父の判断を誇らしく思う、彼は正しかった。たった一人の日本人の罪を、他の日本人全員に償わせるようなことをしたのは明らかな間違い。あのようなことが起きたことを思い出すたびに恥ずかしくなる。我々全ての市民にとっての歴史 ...

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第42回県連故郷巡り=時を遡る―奥パからノロ線へ=第1回=苦々しい記憶―Oクルス事件=暴徒と化したブラジル人が襲う悪夢

「日本人を縛って馬で街路を引きずる暴徒がオズワルド・クルスの町を占拠」と報じる1946年8月3日付ジアリオ・ダ・ノイチ紙

 第42回県連ふるさと巡り一行154人はバス4台に分乗し、3月27日から4泊5日で、最初に奥パウリスタ延長線のオズワルド・クルス、ドラセーナ、ジュンケイロポリスという訪れる機会の少ない、主に戦後に開拓された町々を回って、最後に開通百周年を昨年祝ったばかりの伝統あるノロエステ線のリンスを訪ね、今回も地元日系人との貴重な交流を繰り返 ...

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