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ブラジル人 関連記事

ブラジル水泳界の英雄 岡本哲夫=日伯交流から生まれた奇跡=(7)=戦前からの意外な繋がり

山本貴誉司から日本刀を受け取るパジーリャ(左、『Padilha, quase uma lenda』36頁)

 調べてみると、確かにパジーリャは戦前からスポーツ局の仕事をしていた。ヴァルガス独裁政権からサンパウロ州執政官(1938~41年)に任命されたアデマール・バーロスからの信任が厚く、パジーリャはサンパウロ市アグア・ブランカ区のベイビ・バリオニ体育複合施設、イビラプエラ体育複合施設コンスタンチノ・ヴァス・ギマランエスなどの建設を開始 ...

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メダリストらが強盗被害に=五輪よりリオ市の印象悪化?

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日系ブラジル人メダル連発=同胞の「誇り」

銅メダルを手にするオヤカワ(左)。右は銀のジェイゴ(Francisco Medeiros/ME)

 【リオデジャネイロ共同】リオデジャネイロ五輪で日系ブラジル人選手2人が14~15日、相次いで銅メダルを手にした。ブラジルが獲得したメダルは16日までに計10個。日系人選手の活躍は自国開催で意気込むブラジル代表チームに勢いを与えており、日系社会からは「誇りだ」と喜びの声が上がっている。 体操の男子種目別床運動では14日、日系3世 ...

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ブラジル水泳界の英雄 岡本哲夫=日伯交流から生まれた奇跡=(5)=影の功労者、パジリア局長

戦後初の日の丸掲揚を讃えた記事(パウリスタ新聞1950年3月28日付)

 パカエンブーのプールに日章旗掲揚を許可したサンパウロ州体育局長は、戦争中に日本人プールの使用を特別に許可した時と同じ「パジリア氏」だった。 パウリスタ新聞1950年3月28日付には、パジリア局長のコメントが掲載され、《この大会に外国選手が参加するということはかつてなかった。この例を破ったこと、そのものに我々は非常な悦びを感じて ...

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「パリの方が蚊がいる」=仏メディアがリオ五輪ほめる

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リオ五輪開会式で顕彰された日本移民

日の丸をあしらった衣装で日本移民を演じる様子(Foto: Fernando Frazao/Agencia Brasil)

 実に美しい五輪開会式だった――あの光景を「世界の30億人がテレビ鑑賞、欧米メディアは絶賛した」とブラジルメディアは自賛している。やはり、ブラジル人はフェスタ上手だと痛感する。インディオが自然と共存することを、上から垂らした光る綱を、美しく綾なす形で表現する場面など幻想的の一言だ▼さらに夜8時過ぎになんと日本移民を表す一団が表れ ...

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実録小説=勝ち組=かんばら ひろし=(2)

 昭和の初期、アララクアラ沿線のこのコーヒー農場には数十家族の日本移民がコロノ(農作業者)として入っており、新来の源吉夫婦もその一員だった。 やがて支度が整うとエンシャーダ{鍬}を肩に、昼の弁当と水がめをぶら下げて、二人は揃って家を出た。朝の光を受けて、急速にもやが薄れ、濃い緑の草に朝露がきらきらと輝いていた。「この草取りも今日 ...

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リオ五輪開会式=「ガンバッテ、ニホン」=移民を表現、選手に歓声も

 【リオ共同】5日のリオデジャネイロ五輪開会式には、ブラジルに移民した日本人を象徴する場面も盛り込まれた。約160万人に膨らんだ日系社会はブラジルを支える重要な存在。リオ駐在の日本人も開会式で躍動した。日本選手団が登場すると観客席から大歓声が湧き、地元テレビのアナウンサーは日本語で「ガンバッテ、ニホン」と声援を送った。 開会式の ...

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二つのルーツ、リオで表現=笑顔の走り、恩返しに

 【共同】南米初の五輪開催地となったリオデジャネイロで、日本とブラジル両方にルーツを持つ選手が世界に挑む。陸上400メートル障害のブラジル代表杉町マハウ選手(31)は日系四世。「笑顔で走ることが恩返しになる」。陸上の世界に導いてくれた日本への感謝の気持ちを胸に、祖国を駆ける。 父親の仕事の都合で8歳のころ来日。学生時代に日本国内 ...

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ブラジル人選手の活躍やいかに?=イギリス専門サイトが予想

女子体操のフラヴィア・サライヴァ(Paulo Pinto/Fotos Públicas)

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