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山本喜誉司 関連記事

大耳小耳

ニッケイ新聞 2010年9月30日付け  09年8月の発行以来、一部受賞者の真贋を巡って大いにコロニアを賑わせた記念誌『山本喜誉司賞の歩み』。先日発表された記述の間違いは何と130余。一連の批判に疲れたか、同賞選考委員会の高橋一水委員長、杓田美代子副委員長が今月、文協に辞表を提出したが、辞職は認められなかった?とか。「杓田さんは ...

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大耳小耳

ニッケイ新聞 2010年9月10日付け  09年8月の発刊以来、内容、翻訳等の誤りが多数指摘されていた農業の山本喜誉司賞記念誌。文協の山本賞委員会ではようやく正誤表の製作を終え、配布した人達への送付を始めたようだ。誤植のほか、氏名、地名、年号の訂正など、日語54、ポ語80カ所。同委員会によれば、受け付け終了後も指摘が続き、完成が ...

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ブラジル農業の発展と歩んで=カンピーナス=東山研修生渡伯50年=OB、家族ら2百人で祝う

ニッケイ新聞 2010年8月6日付け  東山農場農業研修生の渡伯50周年を記念した集いが7月31日、カンピーナス市の東山農場(岩崎透農場主)で開かれた。農業指導者の育成を目的として始まった同制度。推進者の山本喜誉司氏(初代文協会長)の死去により60人で終了したが、同農場を巣立った研修生の多くはそれぞれの分野でブラジル農業の発展と ...

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研修生の歴史後世に=思い出の農場に記念碑

ニッケイ新聞 2010年8月6日付け  東山農業研修生事業は推進者の山本喜誉司氏が63年に死去し、経営母体の東山農事の決定により3回の派遣で終了した。60人で終わった同制度だが、卒業生のほとんどがブラジルに残り、産業組合や移住事業団、農薬・肥料会社などそれぞれ農業関係の分野に進んだ。3人は農・水産学の大学教授に、神父になった人も ...

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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2010年6月24日付け  毎月のようにピエダーデ在住の西尾章子さんから手紙を頂く。内容は決まって山本喜誉司賞批判だ。1月8日付け本紙で報じたとおり第38回同賞を受賞した益田照夫さんの功績中、次の3点に異議を挟んでいる▼一つ目は益田さんが「献上柿」と主張していた点。本紙調査の結果、益田さんの柿は宮内庁を通した正式な ...

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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2010年5月18日付け  6面の寄稿「継承日本語教育を残せ!」を読んで、日系社会の今後を考える上で非常に示唆に富んだ話だと感じた。よく大上段に振りかぶって「コロニア滅亡論」をぶつ論者がいるが、常に批 判の対象はブラジル日本文化福祉協会で「かつては山本喜誉司、下元健吉、橘富士雄などの大物リーダーがいた」と現状批判に ...

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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2010年5月15日付け  あれはもう20年近くも昔のことながら―東京・日本橋の丸善の入り口にぼけーっとして急ぎ足で歩く人たちを眺めていると「オイッー」と背の方から肩を叩くので振り返ると本永群起さんがにこにこしている。「なんでこんなとこでつっ立ってるんだ」と言うものだから「友だちとハヤシライスをと思って」と答えると ...

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■訃報■本永群起

ニッケイ新聞 2010年5月12日付け  ツニブラ・トラベル元専務の本永群起さんが10日夕方、サンパウロ州マイリポラン市の自宅で突然、心臓麻痺で亡くなった。享年79。11日午前、サンパウロ市ビラ・アルピーナ墓地で葬儀が行われ、火葬された。  1931年4月、熊本県八代郡出身。玉川大学を卒業後、1953年にテゲルベルク号で渡伯し、 ...

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農業の山本喜誉司賞=今年で節目の40回目=6月末まで応募受付け

ニッケイ新聞 2010年4月29日付け  農業分野の貢献者に贈られる山本喜誉司賞の応募案内のため、同選考委員会の高橋一水委員長、ブラジル日本文化福祉協会事務局長の中島エドアルド剛両氏が来社した。  今年で40回目を迎える同賞の選考基準は、「品種改良」「技術革新などの農業専門分野での功績」「農業分野へのあらゆる社会的貢献度」のいず ...

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西村俊治氏=ブラジル農業発展に貢献

ニッケイ新聞 2010年4月27日付け  ジャクト農機創業者の西村俊治氏が23日午後6時、サンパウロ州ポンペイア市のサンタカーザ病院で老衰のため死去した。99歳。約20日間、同病院に入院していた。24日午後3時から西村俊治技術財団で葬儀・告別式が営まれ、同日午後5時、ポンペイア墓地に埋葬された。  京都府宇治市出身。日本力行会を ...

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