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トメアスー70周年誌完成へ=日系移民の軌跡記す=コショウ栽培の歴史も=最後の日本語記念誌

3月26日(水)

 【パラー州トメアスー 下薗昌記記者】ピメンタ王国の歴史を後世に――。パラー州のトメアスー文化協会(頴川幸雄会長)が製作している七十周年誌が、完成に向け大詰めを迎えている。日系移民が初めて入植した一九二九年以来、コショウ栽培で栄えた町の歴史を詳細に盛り込む予定だ。編纂委員会で中心的な役割を果たす角田修司理事補佐は「一世が減りつつある今、日本語だけの記念誌は今回が最後」とその重要さを強調する。約五百部製作される記念誌は、一般にも販売される。
 州都ベレーン市の南方約二百キロに位置するトメアスー。二九年九月に第一回移民四十三家族が入植後、大根などの野菜を中心に栽培しながら開拓。第二次大戦後の高騰で「黒いダイヤ」と呼ばれたコショウ栽培を基盤に、日系人の町として発展させてきた。
 九九年に七十年祭を迎えたトメアスーでは、記念事業として記念誌の編纂を決定。二〇〇〇年十一月から、角田理事補佐ら八人の編纂委員が郡内や病院、組合などから資料を収集してきた。
 特に今回の記念誌で貴重な資料となるのが、五四年に刊行された「二十五周年誌」だ。当時、コショウ栽培で潤っていたトメアスー植民地ならではの写真愛好会が、数多くの写真を撮影。二十五周年誌でも、当時の植民地を写した写真が盛り込まれている。
 さらに〈行け行け同胞 海を越えて 遠く南米ブラジルへ……〉などの歌詞を持つ移民の歌や、花嫁移住の歌、トメアスー音頭なども記念誌で取り上げる予定だ。
 「一般的な事柄は皆、知っている。埋もれていた資料に光を当てたい」と話す角田理事補佐が、一番苦労してきたのは事実確認だ。資料的にも完全な物にしたいという編纂委員会は、一つの出来事についても、常に複数の関係者に当たって記憶の食い違いなどを検証。そのために多大な時間を要したという。
 トメアスーの「履歴書」とも言える七十周年誌は、五月中にも完成予定で、値段は約三十レアルを予定している。購入の問い合わせは同文協(91・3734・1062)へ。

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