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フェルナンド・モライス氏インタビュー=臣道聯盟がブラジル社会に問いかけたもの(下)=独り歩きを始めた物語=01年の最高書籍大賞を受賞

5月29日(木)

 現在、進めている取材は〃バイーア州のドン〃とも言われるアントニオ・カルロス・マガリャンエス上議や、そして第二次大戦前中のドイツ系コロニア内にあったナチズム運動など。「大戦中に米国は、同サンパウロ総領事館にナチス対策の特別セクションまで設置していたんだ。まるで映画のストーリーじゃないか。ペリュード・リッキシモ(最高にエピソードが豊富な時代)だ」と力説する。
 『Chato』が出版された後のある日、〃自分は外国人、ドイツ系ユダヤ人だ〃という小麦色の肌をした、やせっぽちで長身の老人が、彼を訪ねて来てこう言った。
 『お前の本を読んで、とても気にいったよ。俺は信じられないようなある歴史の主人公だったんだ。家でカセット・テープ七本にそのストーリーを録音したから、仕事の合間に車を運転している時にでも聞いてみてくれ。もし気に入るようだったら、いつでも連絡をくれ』ってね。聴いてみたよ。彼の言うとおり信じられないような話さ。第二次大戦中にブラジルで起きた仰天のスパイ物語だ。裏を取るために、英国海軍将官団へ取材に行ったり、CIA資料をあさりに米国に行ったり、USPとか、山のように調査をしてるよ」とインターネットのサイト『Sarcastico』(=「いやみな、皮肉たっぷりな」の意、www.sarcastico.com.br/1pags/papiro/1pap)に同氏は語っている。
 四十二年間のジャーナリスト歴のはじまりは、ミナス州都ベロ・オリゾンテ市のあるバンカ用雑誌出版社でオフィス・ボーイをしていた時だった。十四歳だったモライス少年は、編集部唯一の記者が欠勤したある日、編集者から『お前、やつの代わりに取材やってみる気ないか?』と言われた。
 モライス氏には長いジャーナリスト歴があるが、本は『Coracaes Sujos』が五冊目。そして、最も権威あるジャブチ賞の〇一年度ルポルタージュ部門第一位に輝いた。と同時に、フィクションとノンフィクションと一冊ずつしか選ばれない同大賞の『Livro do Ano Nao-Ficcao』(ノンフィクション最高書籍)にも選ばれた。つまり、勝ち負け事件を扱ったこの本が、〇一年度のブラジル最高の書籍として認められた。
 この本によって初めて、勝ち負け事件は二、三、四世ら後継世代に認知されたといっても過言ではないだろう。「ガイジンにあんなことを書かれたくない」という声も聞こえてくる。が、この著作が世に出たからといって、排日運動や日系差別が増長したという声は、今のところ聞かない。
 少なくとも、ジャーナリズム界きっての著名人が取材に値すると判断した豊かな内容が、現代ブラジル社会にアピールするものが、あの時代にはあったということだろう。イタリア系に代表される数々の移民物小説やノベーラに飽き足りない読者層は、異国情緒にあふれた〃リッコな物語〃に飢えているということか。実際、彼のもとにはすでに、同書への映画化権交渉が二つも来ている。
 出版から三年――。臣道聯盟を巡る物語は、ヴァルガス独裁政権下の近代史、中でも当時の外国人移民への強権的同化政策を問うエピソードとして定着した観がある。この物語はすでに、コロニアに封印されていた〃永遠の隠し子〃から、知らない間に、ブラジル社会で著名な〃ミステリアスで無口な青年〃へと成人し、独り歩きをはじめたのかもしれない。
    (深沢正雪記者)

■フェルナンド・モライス氏インタビュー=臣道聯盟がブラジル社会に問いかけたもの(上)=ブラジル史としての物語=非日系だから中立的に書ける

■フェルナンド・モライス氏インタビュー=臣道聯盟がブラジル社会に問いかけたもの(中)=勝ち負け事件は過去の話=「膿は早く出さないと手遅れに」

■フェルナンド・モライス氏インタビュー=臣道聯盟がブラジル社会に問いかけたもの(下)=独り歩きを始めた物語=01年の最高書籍大賞を受賞

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