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将棋 新風起こせるか(終)=若手のホープ高島さん=ベレーンで貿易商、人望集める

5月31日(土)

 バチッ、バチッと一手一手に勢いのある音が響く。長考はせず、どんどん攻める。その気迫に相手は圧倒されてしまう。人一倍負けず嫌いで、敗れれば必ず敗因を分析する。
 ここまで書けば、何となく、横柄な感じを与えかねいが、一本筋の通った気骨のある人だ。
 取材に当たって、将棋連盟の幹部に若手のホープを尋ねたら、真っ先に、高島ロベルトさん(二世、四九)の名が返ってきた。
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 「王将戦(五、六段)、四段、三段の優勝者三人を五日間、パラー州ベレーン市に無料招待します」――。
 優勝カップと記念品が、将棋連盟の用意した賞品だった。今年は、ベレーン市への旅行が加わった。
 同市で、胡椒の輸出業に携わる高島さんが招いたのだ。行事開催への祝儀も千レアルとはずんだ。
 ブラジル・アマ五段。王将戦に出場し、惜しくも予選リーグで敗退した。
 決勝トーナメントには進めなかったので、暇になるはずだった。が、それは大きな間違い。手ほどきを受けたいという人が列をなして、対局を待っていたからだ。
 〃後輩〃を相手に、「それを突いたら、飛車を取るよ」などと、数手先をアドバイスしていた。〃先輩風〃を吹かせず、率直に考えを述べるあたりに人望が集まっているようだ。
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 高島さんにも苦難の時代がある。九八年に、多額の負債を抱えて会社が倒産。当時、子供がまだ小さく、「本当に参った」。 
 腹違いの弟を頼って訪日、群馬県伊勢崎市で半年間、働いた。兄弟らの支援もあり、その後、事業の再開にこぎつけることができた。
 滞日中に、駒は離さなかった。将棋クラブに通っては、頭を冷やしていたという。「勝率は七割ぐらいだった」と、豪快に笑う。今となっては、出稼ぎ時代は良き思い出だ。
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 父、将元さん(東京都出身、八五)は元高拓生。幼いころのしつけは、厳格だった。将棋は父に教わった。実母は六歳の時に、亡くしている。王将戦には父子そろっての出場だ。
 本人は王将戦(五、六段)で父は初・段外に属す。二人が対局する時は、ロベルトさんが金銀落ちのハンディを負う。
 指導者であった父の背中を既に、超えた。アマチュアだから対局を楽しめればそれで満足だ、という。
 将棋に夢中になるのはなぜかと聞くと、間髪を入れず答えが返ってきた。
 「好きだから。じゃないと、三千キロも離れたベレーンから来やしません」。  (古杉征己記者)

■将棋 新風起こせるか(1)=「強制せずに育てたい」=祖父、孫の自主性尊重

■将棋 新風起こせるか(2)=チェスから入ったエゴロフさん=トップレベルにあと一息

■将棋 新風起こせるか(3)=連盟「後継者」と期待=ミナスの高根さん 将棋盤携行して移住

■将棋 新風起こせるか(終)=若手のホープ高島さん=ベレーンで貿易商、人望集める

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