ホーム | 日系社会ニュース | 上塚翁を忘れず=パラナ2団体―命日選び墓参

上塚翁を忘れず=パラナ2団体―命日選び墓参

7月31日(木)

 [パラナ支局]汎ロンドリーナ熊本県人会(中川芳則会長)とパラナ平和友の会(東口正会長)の有志四十一人は、去る七月六日、プロミッソンの共同墓地に眠る〃移民の父〃上塚周平翁の墓に参拝した。当日は、故人の八十六年目の命日とあって、特に選ばれた。
 午前六時半、ロンドリーナ市を出発、予定通り十一時に到着。安永忠邦さんの案内で、墓に菊花を捧げた。日曜日だったので、早朝の法要にはリンスや地元の人たちも多数参拝し、墓石は菊花にうずまっていた。
 ロンドリーナの一行は、上塚公園に案内された。安永ルイスさんの日伯両語による司会で、歓迎昼食会が、プロミッソンの副市長、市会議員も同席、約百人の地元の人たちが出席して、持ち寄りの御馳走で行われた。
 代表者の紹介あいさつのあと、パラナ平和友の会、汎ロ熊本県人会から、長年にわたって上塚翁の墓守りを続けている安永家に敬意を表し、安永忠邦さんに記念品が贈られた。安永さんは「立派な記念品をちょうだいし、恐縮しております。これは、私たちみんながいただいたものと心得ています。上塚先生の命日に遠くから多数参拝いただいたことを力強く思っています。きょうほど、コロニアのなかに先生がまだ生きておられる思いを深めたことはありません」と感謝の意を述べた。
 食事のあとは、交流会に入り、カラオケなどで賑わった。一行のなかで特別招待された五十嵐俊夫ドクターは、地元の伯字紙の記者、シゲユキ・ヨシダ氏の案内でリンスの今田邸を訪れた。そこで昔、多くの日本人移住者を救った名医今田求ドクターの未亡人菊乃さん(九五)と再会。マラリアで死の直前であった母親が、今田ドクターに救われ、五十嵐少年は、そのとき医者になろうと決意したという。「目的を果たすことができました」のお礼の言葉に、菊乃夫人も熱い涙を流したという。
 善意に満ちた旅行に、一行は満足した。午後三時過ぎ、プロミッソンを地元の人たちの「蛍の光」の歌声に送られて出発、午後八時、予定通りロンドリーナに帰着、解散した。

image_print