ホーム | コラム | 樹海 | コラム 樹海

コラム 樹海

 明日ー。葉月の十五日は「終戦記念日」。その昔。執権・北条時宗が元寇の大軍を跳ね返し船団を組み押し寄せた侵略軍を海の彼方・故郷へとお帰りを戴いた。「文永の役」である。時に時宗二十四歳のことは風呂の中で祖母から耳が痛くなる程に聞かされたのを想い起こす。古くは朝鮮にも出兵。秀吉は支那をも征服をと半島に兵を送り失敗もした▼とー。日本列島が戦争に全面的に敗北した歴史はない。あの大東亜戦争が初めての「敗れ戦」であった。あの戦いをどう評価するかは半世紀を超えた今と現在も議論が一杯にある。溢れるほどにー。宣戦布告なしのハワイ奇襲。これは事実。これには駐箚アメリカ大使館の責任者である書記官が、あの緊迫し国家を動かす重大事のときに外務省からの「電文指令」を読みもせずに同僚が南米勤務に向かう歓送会にうつつを抜かししていたの背反がある▼蛇足。このへっぽこは戦後に外務省事務次官の栄誉に輝いているのも不思議であり不可解な話なのである。このお返しが「ノー・パール・ハーバー」だった。だがーである。ルーズベルト大統領は「日本が戦争を仕掛けて来る」のを情報戦で知っていたらしい。ハワイの被害は計算尽しだったの説もある▼戦後。東京裁判があり東條英樹大将ら七人が「戦犯」として死刑に処せられた。だがーあの裁判そのもが事後立法であり法的に正当性があるのかも疑わしい。戦争の定義は難しい。プロシャのクラウゼウィッツの「戦争論」は「政治的な最終的な解決が戦争」としているが、悪夢の大東亜戦争も将に「政治」だったと見たい。(遯)

03/08/07

image_print

こちらの記事もどうぞ