ホーム | 日系社会ニュース | 46年間おつかれさま=文協前事務局長 安立仙一氏が死去=歴代全会長と仕事=「まだやり残したことあった」=葬儀に約200人が参列

46年間おつかれさま=文協前事務局長 安立仙一氏が死去=歴代全会長と仕事=「まだやり残したことあった」=葬儀に約200人が参列

8月19日(火)

 文協の歴史がひとつ幕を閉じた。今年六月まで四十六年間にわたって文協を支えてきた前事務局長の安立仙一氏が十五日午後五時三十分、入院先のサンパウロ市サンタクルス病院で永眠。死因は肺出血とみられている。七十二歳だった。一九五六年に移住、その翌年から文協に勤務し初代山本喜誉司氏(故人)―九代岩崎秀雄氏まで戦前派が占めた会長の右腕的存在として活躍。日系社会の中枢でコロニアの変遷を見詰めてきた数少ない戦後移民だった。

 「四十六年間本当におつかれさまでした。これからも文協改革に力を貸してもらいたい」
 五月三十日、文協ビルで開かれた送別会で上原幸啓会長は集まった約七十人の役員理事らとその労をねぎらった。
 それからわずか二カ月目の命終だった。八月六日(赤阪清隆サンパウロ総領事の送別会)にあいさつを交わしたいう岩崎前会長は「文協も二、三世による改革が始まり、『あっ自分の時代も終わったな』と考えていたのでしょうか」と寂しげに話す。
 最近になって貧血気味の状態が続き血液検査を繰り返していた。就寝中に「息が苦しい」と由紀子夫人(六八)に訴えたのが十二日夜。緊急入院し検査の結果、白血球の増加が明白に。UTI(集中治療室)に運ばれそのまま帰らざる人となった。 
 夫婦の会話の途中にも「早く元気になってできればもう少し文協を手伝いたい」。そう漏らしていたと由紀子夫人は明かす。文協とともに歩んだ人生だがまだまだ思い残すところがあった。
 退職したら一緒に日本へ旅行に行こう、と以前から約束していた。しかし、ついに体調が好転することはなかった。「あまりに約束のことを気にしているので、『あなたの健康の方が大切なのよ』と言っていたのですが」と夫人は受話器越しにすすり泣いた。
 一九三一年、北海道紋別郡出身。明治大学仏文科卒。一九五六年十月、「テゲルベルグ」号にて着伯。
 由紀子夫人との間に長男哲(四一)さん、長女由美(三六)、次女由理さん(三三)の子供がいる。
 初七日法要は二十二日午後七時から文協大講堂で執り行われる。詳細は電話3208・1755まで。
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 葬儀は十六日午後三時から、サンパウロ市カンポ・グランデ区のコンゴニャス墓地で営まれ、約二百人が参列した。文協関係者をはじめ、小松雹玄国際協力事業団(JICA)サンパウロ支所長、和井武一サンパウロ日伯援護協会長、谷口出穂在伯北海道協会長などが次々に姿を見せ、安立仙一前事務局長の死を悼んだ。
 式場は参列者でごった返し、焼香時には屋外に長蛇の列が出来た。
 上原幸啓文協会長は「(安立前事務局長は)先週の月曜日に文協に顔を出して、図書館業務を手伝わせてほしいと言っていたばかり。翌日に体調を崩して入院、もう、亡くなられました」と慨嘆。「私たちは皆、気落ちしています。文協の維持、運営についてまだまだ教えを受けたかった」と表情を曇らせた。
 両目を真っ赤にして式場から出て来た小松支所長は「日系社会の将来について激論を戦わせ、安立さんに失礼な言葉を言ったこともあります。まだ、やり残したことがあったのではないでしょうか。下の娘さんはJICA主催の研修に参加していますが、親族の顔を見たらどうしようもなくなりました」と胸に迫る思いを語った。

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