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行徳氏誘拐事件振り返る=危機管理 甘かった=次は自分、教訓生かして

8月21日(木)

 五十八日間の長期監禁から解放されたスザノ市の企業家、行徳マルシオ氏。片耳を切られ、衰弱しながらも生還した同氏の誘拐事件は、日系資産家や駐在員にとっても他人事ではない。昨年十一月、サンパウロ総領事館が主催した講演会「ブラジルにおける誘拐の実態と対策」で、講師を務めた危機管理のコンサルタント会社、コントロール・リスクス社(山崎正晴社長)による対策を踏まえ、改めて事件を振り返る。
 ――一九七〇年代以降、政治的な誘拐はなく、ほとんどが金銭目的。
 事件発生翌日の六月五日、家族らに身代金を要求する電話が入り一時は四百万レアルに高騰。最終的には二十五万レアルでの交渉となった。七月二十四日にはマルシオ氏の耳の一部が、家族に送付された。
 ――計画犯行型の犯人像は、九割が男性で五二%が武装。通常四~八人で犯行に及ぶ。また、同時期に複数の誘拐を実行することもある。
 事件発生の六月四日夜、マルシオさんは経営するショッピングセンターを車で出た後、銃などで武装した六人組の男に襲撃された。主犯格として逮捕されたジアス容疑者は、昨年にもミナス・ジェライス州で企業家の息子を誘拐した他、数多くの余罪を持つ誘拐のプロとみられる。
 ――誘拐犯がターゲットを絞り込むのは、家族や会社から金を取れるとみられるか、また接近し、拉致するのが容易かという二つの要因だ。「最も危険なのは自宅と会社間」だと山崎氏は行動様式の定型化は避けるべきだと指摘する。
 マルシオ氏や父のジョルジ行徳氏らは同市でも有数の資産家として誰もが知る存在だった。さらにジョルジ氏は比較的地味な生活を送り、身辺警護にも配慮していたが、マルシオ氏はボディーガードなしに高級外車を使用するなど無防備だった。
 ――プロの実行犯が必要とするのは、①自宅と勤務先の住所②所有車両③駐車場所④移動のルートと時間⑤警備体制⑥顔写真など。「オフィスの入り口に行動予定表を張ったり、メイドや運転手に気軽に情報を与えるのは危険」と情報を制限する重要さを訴える。
 居住する高級アパートの所在地が一般市民にさえ知られている上、スザノショッピングの経営者として知られていたマルシオ氏。また、スザノ市では珍しい高級外車のアウディを使って、同ショッピングから自宅まで一人で運転していた。
 ――誘拐発生の時間帯には午前六時から同十一時までが三五%、午後六時から同十時までが半数の五〇%。襲撃場所は自宅と会社間が最大で二六%となる。また襲撃の大半が自宅もしくは会社の二百メートル以内で発生している。さらに拉致の手口としてターゲットの逃げ道を塞ぐため、二台の車が使われる。また、犯人は常に武装。襲撃場所は、運転手がスピードを落とす①信号②工事現場③ロンバーダス④交差点が多い。
 マルシオ氏は、仕事を終え、午後九時にショッピングを離れた。ショッピング近くの交差点で、武装した犯人らが乗る二台の乗用車に前後を挟まれ、拉致された。
 ――誘拐は誰にでも起こりうる。監禁された場合の心構えは①早期解放を期待しない②犯人と友好関係を保つ③健康を維持するよう務める④脱走を試みないなどが挙げられる。「相手に自分は人間なのだと意識させることが殺害させない手段。また、しっかり食べることも大事」と万一の心構えを説く。
 約五十六日間の監禁は、常時五人の覆面男たちが不眠で見張りを続ける地獄だった。マルシオ氏は耳の一部を切られ、常に虐待を受けながらも、家族らの交渉を信じ生還した。米とフェイジョンだけの粗食が続いたが、きちんと食べていたため、七キロの体重減少にとどめた。

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