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神戸旧移住センターで写真展=日本人同士の〃戦争〃=国内ではほとんが知らない=戦後ブラジルでの悲劇

8月28日(木)

 [神戸]旧神戸移住センター一階の神戸移住資料室で、写真展「ブラジル移住者の悲劇」(副題=日本の敗戦が日本人同士の〃戦争〃を呼ぶ)が、八月一日始まった。十一月三十日まで行われる。展示は、「ブラジル勝ち組」に関する写真十一点。神戸日伯協会、国立海外日系人会館促進協議会の共催。
 展示されている写真は、(1)ブラジルで発行された当時(四〇年代の後半から五〇年代)の新聞、(2)テロ集団が身につけていた日章旗とピストル、(3)逮捕、連行されて監獄アンシェッタ島に送られた人たち、(4)テロ集団側が出した脅迫状、(5)詐欺師に利用された軍票など。
 日伯協会では、展示内容の説明で「母国日本の敗戦が、日本人同士の〃戦争〃を呼んだ。忌まわしい歴史上の事実を断片ながら展示して、戦時の教育と情報飢餓状態に置かれれば、こんなにも不幸な現実の到来となることを実証した。日本人のほとんどが知らないだけに、貴重な写真資料だ」といっている。
 一方、展示写真の背景となった、不穏だった約十年間の日本人社会の状況についての解説もある。
――ブラジル(の日本人社会)は、日本からの情報が途絶えた情報孤島の様相を呈し、日本人の間で「勝った」「負けた」の争いが起こった。
 概して、インテリ層はブラジルのマスコミから得る情報を信じたが、旧軍人をトップに据えた日本人団体は「日本は負けていない。米国を中心とする連合国の勝利はデマだ。敵の謀略にひっかかるな」とゲキを飛ばした。
 ここに、日本人は移住者同士が敵、味方に分かれて勝ち組、負け組の対立になり、勝ち組(の一部組織)によるテロ活動が始まった。
 特に日本が戦争に負けたと思いたくない多くの人たちは、戦争中日本からの短波放送で流された大本営発表を聞いていて、日本軍の赫赫たる戦い振りを信じていたので、負けるはずがない、との信念を持っていた。
 皇民教育を強制されていたこと、総領事館に派遣されていた軍人は「お上」の意向をかさに着て発言力が強く、日本人移住者の上に君臨していた。この流れを汲む一団のテロによって、負け組のリーダーたちが次々と殺害された。十年ほど、日本人社会は不穏だった。