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コラム 樹海

 年々、催しが増えているようだ。新聞に予告を掲載してくれ、との依頼が引きも切らずの状況だ▼三十五年前の新聞を広げてみる。そこには、カラオケ大会、ゲートボール大会の案内はない。桜、餅つき、うどん、つつじ、魚などを冠した祭りもなかった。日本文化を紹介しようという日本文化祭、日本週間も極めてめずらしかった▼集団ツアー(旅行)への誘いもない。そのほか、県人会、地方文協などの創立記念式典、敬老会、さらに同航者会、植民地出身者親睦会、慈善バザーも少なかった。これらは、まだ、開催するまでの年月を満たしていなかったといえるだろう▼イベントで紙面を賑わしていたのは、全伯的規模の各種スポーツ大会、各地の運動会。映画館の上映映画の広告は大きく紙面を〃占領〃していた▼さて、現在のようにあふれるほどの催しがなかったころ、人々は何をしていたのだろう。答えは、せっせと働いていたといっていいだろうか。もっといえるのは、現在、催しを享受している人々の多くは、当時幼かったか、生まれていなかった▼催しの増加は、おおげさにいえば、経済規模が大きくなったことを意味する。豊かになり、〃遊ぶ〃時間が多くとれるようになったということだ▼新聞はといえば、催しが増えた、それを報道したといっても、直接的には必ずしも読者増にはつながらない。これは明白である。ただ、回覧板の役割をしっかりと果たしている。「新聞がなかったら困るだろうな」と察したりはする。   (神)

03/09/05

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