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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2012年11月2日付け

 10月15日付け7面「相撲史」記事に関して、読者から「伊勢錦は小結をやっていない、十両のはず」との指摘を受け、調べなおした。『ブラジル日本相撲史』(1978年、中村東民)によれば、伊勢錦こと大森一城は三重県出身、東京相撲の出羽ノ海部屋に入門、十両三枚目に昇進した後、27年に第2アリアンサに直来入植した。読者の指摘通りだ。訂正したい▼27年8月、同地第1回入植祭にあたり、相撲開催を大森に依頼したが108キロの巨漢がマラリアでやられて80キロまで減っていた。それでも、村の初入植祭だからと大森は頑張って指導したという▼小結だったのは真砂石(本名・石川三郎治)だ。彼が31年8月にカフェランジアへ入植したのを機に、ブラジル日本相撲協会が組織され、9月にはさっそく『第1回全伯大会』が開催された。「観衆は続々とつめかけて、その数は七千という」から桁外れだ。国技が持っていた勢いにはまったく凄いものがある▼同相撲史の写真グラビアを見ていて、不思議な点があった。あれだけ〃明治の精神〃に溢れた相撲取りたちが、戦前からパンツの上に回しを締めていることだ。同相撲史にあった「公開の相撲場ではパンツ使用という注意が耕地支配人から出た」との一文を読んで、ウ〜ンと唸った。つまり「ここはブラジルなのだ」という耕地支配人の羞恥心がパンツという形で現れた▼日本移民は〃神聖な国技〃と勢い込んだが、ブラジル人からは「下卑な裸踊りと同列に見られた」のが現実であり、たかがパンツ一枚とはいえ〃異文化の壁〃が高く立ちはだかっていたことが伺える。(深)

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