ホーム | 日系社会ニュース | 「おかしな事件が起きる日本と対極なのがここ」=イタリア在住松山一家=一カ月休暇を弓場農場で=「僕たちの国籍はイタリアだけど、祖国は日本と感じる」

「おかしな事件が起きる日本と対極なのがここ」=イタリア在住松山一家=一カ月休暇を弓場農場で=「僕たちの国籍はイタリアだけど、祖国は日本と感じる」

9月6日(土)

 「家族で弓場農場へ行こう」。そんな長男の呼びかけで、イタリアに住む日本人一家が来伯、弓場農場を訪れた。イタリアで造形作家として活躍する修平さんと真理さん夫婦、そして三人の息子、長男直希さん(二十)、次男達彦さん(十八)、三男龍平さん(十五)の松山一家だ。「おかしな事件が色々起こる日本の対極にあるのが、弓場ではないか」と語る修平さん。「家族、特に兄弟たちと来たかった」という直希さん。イタリアの日系家族は、ブラジルの弓場農場で何を感じたのか。

 直希さんは留学先のイギリスの友人と、初めてブラジルへ来たのが昨年九月。旅行出発二日前に、ある知人から電話があり、弓場農場訪れることを薦められたという。
 「家族と一緒に来たい。特に兄弟たちにもここを体験してほしい」。約一カ月の旅行中、弓場で過ごしたのは一週間。しかし、帰国後、直希さんは強くそう感じた、という。
 「僕は自分の感じたこと、思ったことを表現するのが苦手。でも全て説明していたら、今回のように家族が来るなんてことはなかったかも知れない」。
   
 家長の松山修平さんは二十一歳の時、単身でイタリアへ。以来、二十七年間を同地で過ごし、現在ではイタリアと日本を股にかけて活躍する造形作家だ。
 松山一家は、リエティという日本人のいない町に住んでいた。しかし、子供たちが大きくなるに従ってミラノへ居を移した。その理由を「やはり日本語を伝えたかったから」と修平さん。 
 「父には感謝しています」と話すのは中学生までミラノ日本人学校に通った直希さんと達彦さんだ。「校内は日本だけど、門から出るとイタリア。特殊な世界だった」。
 高校からインターナショナルスクールに通った二人だが、イタリア社会のなかでは、それなりのプレッシャーもあったようだ。
 「外国人扱いされないため、常に『俺もイタリア人なんだぞ』という主張をしなければいけなかった」。 言葉については「アカデミックなことは英語、日常会話はやっぱり、日本語。イタリア語は・・・ケンカの時かな」。
 三人は畑仕事などを通して、弓場農場にいち早く溶け込んだ。「素直で気持ちがいい。日本からくる子供たちとは違う」とは弓場の人々の評。龍平さんは豚の解体も経験するなどそれぞれの時間を過ごした。
 来年からは、達彦さんもイギリスへ留学。修平さんには「これからは家族が集まるのも難しくなる」という思いが、今回の旅行にあったようだが、「ここでは全員が家族みたいなもの」と笑う直希さん。
 弓場の印象については「言語、食文化、農業などの部分だけでなく、日本人らしさを意識的に残そうとしている感じがする」と話し、故弓場勇氏の言葉「『祖国を忘れた移民は、その意味を失う』という言葉は当たっていると思う」とも。
 「僕たちの国籍はイタリアだけど、祖国は日本と感じている」。その言葉に達彦さんも大きくうなずく。  日本にも毎年、仕事の関係で訪れる修平さんは「現在、色々な事件が起きているが、弓場農場はそこから一番遠いところではないか」と話す。
 「ヨーロッパは古き良きものを残す文化がある。弓場の存在は日本がどうであったか、これからどうあるべきか、見直させてくれるのでは」と指摘する。
 仕事の都合で約十日の滞在となった修平さん以外は、約一カ月の滞在となった松山一家。「もう一度、戻ってきたい」と満面の笑みを湛え、それぞれの思いを胸に弓場農場を後にした。

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