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日系人とは何か=安立仙一、渡部和夫 半世紀の交錯(4)(最終回)=日本文化を心に宿すもの=これ全て新〃日系人〃?!

10月7日(火)

 七〇年代に異端であったその考え方は、文協改革委員会最終報告書にもあるように、現在の改革の底流となっている。
 この報告書では、日系コミュニティーの新たな定義として、「日本人の血をひく人のみで構成されるものではなく、ブラジル社会のなかで、日本文化を精神や心に宿す人の集まり」とその範疇を広げている。
 上原幸啓文協会長は、事ある毎に一人のリーダーシップより、チームワークを強調する。それが現執行部流といえるだろうし、今までのようなカリスマ性と高い指導力を持ったリーダーの不在も否めない。
 しかし、改革にあたり、渡部氏が様々な意味で精神的主導権を握っていると考えるに相応しいエピソードがある。
 百周年関連の会合の後、出席者たちがレストランでカレーライスを食べることになった。その際、「生卵を入れると美味い」ことを渡部氏が強調するでもなく話したところ、結局は全員が卵を注文することになり、そのことに気付いた一同の座が沸いた、という。
 文協のある職員はいう。「(渡部氏は)何を言うでもないが、結局はみながそれに従ってしまう不思議な力を持っている」と。
 故・安立仙一氏は、七十年祭を「一世最後の晴れ舞台」、準二世を中心に開催された八十年祭を「一世という柿が熟して落ちようとする瞬間」と表現。そして九十周年をこう評した。

 文協がリーダーシップの 低下を露呈した、九十周 年祭が世代交代の過渡期 だった。

 二世主導で行なわれた九十年祭は、「一世の感覚ではないものだった」と断じ、(当時の執行部は)「我々の考えでやる」と過去の資料を見ることもなく、助言を求められることもなかったという。
 アニェンビーで約三千人(八十年祭の日本からの訪伯訪問団とほぼ同じ)という動員数は、カルドーゾ大統領も参列したパラナにおける同周年祭の一割に過ぎなかった。同時に記念事業の目玉だった日伯学園構想も存在感を失っていった。
 今年四月に開催された、「二十年後の日系社会と日系人との連携事業について(JICA支援協力)」討論会では、「日伯統合連携情報管理センター」「日伯複合医療機関」「日伯教育センター」の創設が提言された。
 これは二世、三世を中心とする有識者が三カ月かけて行った調査だが、日系人としての誇りを持って活躍する在り方を探るという目的に根ざしたものだ。
 百周年記念事業では、さまざまな構想がでているが、渡部氏が提唱するのは、全ての日系関連機関を統合した文化センタービル建設、そして法人化後、基金の創設がその青写真らしい。
 「日系人は文化継承の努力を怠ってきた。日本文化のブラジルへの影響はまだまだ低いといえる。文協がその実質的指導にあたり、次世代の〝日系〟への目覚めを促したい」と将来、日系社会がさらにブラジルへ貢献する可能性を語る。

 日本の優れた文化や精神 性を共有、継承する日系 社会に関心を持つ人なら 非日系であっても日系コ ロニアの一員である。
 
 渡部氏が一貫して主張してきた、古くて新しいその日系観。その真価は日系人自身によって、これから問われていくのかも知れない。  (堀江剛史記者)


■日系人とは何か=安立仙一、渡部和夫 半世紀の交錯(1)=文協創立時の役目終え=次の50年のあり方模索

■日系人とは何か=安立仙一、渡部和夫 半世紀の交錯(2)=渡部氏=文協とピラチニンガ=独自の論で両方に距離

■日系人とは何か=安立仙一、渡部和夫 半世紀の交錯(3)=本の日本人とは別=コロニアはブラジルの一部

■日系人とは何か=安立仙一、渡部和夫 半世紀の交錯(4)(最終回)=日本文化を心に宿すもの=これ全て新〃日系人〃?!

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