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日系人とは何か=安立仙一、渡部和夫 半世紀の交錯(3)=本の日本人とは別=コロニアはブラジルの一部

10月4日(土)

 「七二年だったか、パラナ州のゴルフ場で、ボールを盗った少年を進出企業の駐在員が射殺した事件があったんですよ」
 渡部氏は日系人のアイデンティティーについて考えるきっかけとなった一つの事件を挙げる。当時、日本がアジアなどへの経済進出で〃エコノミックアニマル〃と揶揄されている時代。
 「ブラジル人が我々日系人を日本の日本人と混同して、日本についての非難混じりの発言をするたびに、葛藤する自分があった」
 七七年に行なわれたシンポジウムの発表をまとめた「ラテンアメリカとの対話」のなかに、その二世観と、「日系コロニア」という名称について行なった指摘がある。

 二世という呼称が二世代 目の日本人ではなく,日 本移民から生まれたブラ ジル人を意味すると共に 、他方、日系コロニアと いう呼び名も日本人移民 とその子弟にブラジルの なかでここだけは日本の 延長部分であって欲しい という日本人側の思惑を 窺わせるものでなくなる ことが肝要ですが、(中 略)二世はブラジル社会 という大きな仕組みの中 に完全に同化され、これ の成員なのです。(六七頁)
 「こちらでは全く注目されなかったけど、このシンポジウムがニューズウィークに紹介されたものが、日本の新聞にでてね。面白いことにそれを通してコロニアに伝わったわけ。周りからえらく怒られましたよ」
―怒られた、と渡部氏は笑うが、それは一世たちの冷ややかな視線と批判であったことは想像を待たない。 機会があれば、同世代に意見を聞く姿勢を崩さなかった渡部氏だが、このような考え方は当時の二世たちの共通認識であったとはいえない、と話す。反応は極めて鈍かった、と。
 渡部氏はこの時代を振り返り、本紙のインタビューで次のように語っている。
 「七十年代あたりまでブラジル社会という大きなコミュニティーで生活しているという事実認識にやや欠けるような空気がコロニアにはうかがえた。これを戒めたい気分が強かったせいか、コロニアに無関心で批判的だと一部に誤解されたらしい」(〇三年元旦特別号から)
 八一年、文協は社会公益法人化する。事業や予算報告に判事のサインが必要であったため、当時唯一の日系判事であった渡部氏を毎年訪れる。自然、その考えを聞くことになる。

 強烈な印象でしたね。
 正直よく分かりませんで した。というのも、その 頃は一世全盛でしたし、 こんな人もいるんだなあ と思いましたね。まあ、 この考えを受け入れられ た一世はその当時いなか ったんではないでしょう かー。

 その三年前に、皇太子夫妻が来伯し、八万人がパカエンブー競技場に結集した七十周年祭が盛大に行なわれたことを考えれば無理はない。コロニアを体現したような団体である文協の中核にいた安立さんの感想を、当時の一世の代表的感覚と断じてしまうのは、少々乱暴だろうかー。
   (堀江剛史記者)

■日系人とは何か=安立仙一、渡部和夫 半世紀の交錯(1)=文協創立時の役目終え=次の50年のあり方模索

■日系人とは何か=安立仙一、渡部和夫 半世紀の交錯(2)=渡部氏=文協とピラチニンガ=独自の論で両方に距離

■日系人とは何か=安立仙一、渡部和夫 半世紀の交錯(3)=本の日本人とは別=コロニアはブラジルの一部

■日系人とは何か=安立仙一、渡部和夫 半世紀の交錯(4)(最終回)=日本文化を心に宿すもの=これ全て新〃日系人〃?!

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