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コチア青年も古稀世代?!=還暦を初めて上回る=祝典をカーザ・グランデ農村協会で=まだまだ健在をアピール

10月22日(水)

 いつまでたっても元気なコチア青年で――。十九日行われた古稀・還暦祝いでは、昨年までは還暦が多かったが、今回初めて古稀が多数を占めるようになった。大平正事務局長によれば「平均年齢は六十七から六十八歳ぐらいだね」とのこと。「来年、さ来年はもっと多くなる」そう。一九五五年に始まったコチア青年は、そんなさ来年、五十周年も迎える。久しぶりに顔を合わせ、あいさつ代わりに「あんたは来年か?」と尋ねあう場面も。約二千五百人という戦後移住史中、最大の単独移民集団を誇るコチア青年。今回の式典では、寄る年波にもめげず、まだまだ健在であることをアピールした。

 夏時間が開始した十九日午前十一時半、コチア青年連絡協議会(香川公宏会長)主催の第四回古稀・第十三回還暦祝いが、サンパウロ市サントアマーロ区のカーザ・グランデ農村協会(土屋登会長)会館で開催された。
 今年還暦を迎えたのは十四人、古稀は五十五人だった。そのうち出席したのは、還暦が貞光邦夫氏、古希が佐藤信也、神取忠、安藤禎重、西田久幸、滝下勝徳、津久井清、白石義武、地坂満男、芳賀七郎、小牟田正男、宮嶋貞雄、野村愛国、伊沢準ら十三氏。還暦の人には赤い、古稀の人には黄色の蝶ネクタイが付けられた。
 昨年の還暦該当者は三十六人、古稀は二十九人で、今年から逆転した。
 香川会長はあいさつの中で、「我々もさ来年で五十周年。何かできるのか、忌憚のない意見を述べてもらって検討中です。コロニアに、ブラジル社会に喜ばれる五十周年、そして移民百周年になるように、まだまだ〃若い青年〃でなければ」と檄を飛ばした。
 還暦、古稀それぞれの人に記念品が贈られ、同伴した夫人にも鉢植えの花が贈呈された。
 「私が生まれた昭和八年の前年に日清事変。昭和二十年に終戦になるまで、飴玉一つ食ったことなかったし、チューインガムがあることも知らなかったです」とは、古稀を代表して、モジ市イタペチ在住の芳賀七郎さんが謝辞の中で述べたコチア青年が生まれた時代背景。
 「戦後も食う物もなくて、食糧増産の為にがんばったな。二十四歳まで家の仕事してて、『今度、自分のことをしてもいいか』って、兄貴に相談したら、『いいよ』って言ってくれた」。早速、宮城県庁の拓殖課へいったら、「沃野は招く、南米」という大きなポスターが貼ってあり、「こりゃ、いいぞ! 俺でも行きそうだ」と思った。
 「ブラジルに着いて先輩に聞いたら、『おまえ、なにしにきた?』って言われた。ちょうとタウバテで殺人事件(青年がパトロンを殺した事件)が起きたし、あの時は本当にこたえたよー」と振り返った。会場は、そんな苦難を物ともせずに元気に語る〃芳賀ラッパ〃に始終笑いがこぼれた。
 当日はサントアマーロ日本人連合会の中村政喜会長、東山研修生会の桑畑良平会長、文協の伝田英二副会長、同小川彰夫理事、同西銘光男元副会長ら来賓合わせ、約百人が集まり、昼食をはさんで午後四時ごろまで盛んに旧交を温めていた。

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