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ブラジル・ゴルフすすむ大衆化=所得がぐんと増えた=日系の貢献大きい=独特のスタイル=家族ずれのプレー

2月4日(水)

 紳士のスポーツ、ゴルフ。ブラジルには鉄道敷設に携わったイギリス人によって、一九世紀末に持ち込まれた。クラブの会員権や用具の購入が高くつくことから、一般社会にはなかなか根付かなかった。ここ数年、国内でのゴルフ場開発が爆発的に増え大衆化が進んだと言われる。現代のゴルフ事情や日系人との関わりなどについて探った。
 サンパウロ市リベルダーデ区のプロ・ゴルフ・スポーツ店。店奥を覗くと、ドライバーやアイアンなどが所狭しと陳列されている。国産品はまだ製造されていないから、すべて輸入品だ。
 ゴルフ用品の輸入販売が解禁されたのは、十五年ほど前。「当時市内にはゴルフショップは無かったので、面白いほど儲かった」(店主)。しかし今、ゴルフ部門の販売実績は思わしくない。この十年間に人気に火が付き、ゴルフ用品を取り扱う店舗が増えたからだという。 
 ブラジル・ゴルフ連盟によると、ゴルフ人口は推定二万人。六〇年代から右肩上がりの傾向を見せ始め、九〇年代に入って勢いが加速した。海外のオープンが衛星放送で観戦できること、タイガーウッズ(米)という世界的なヒーローの活躍などが理由とみられている。
 新規のゴルフ場開発は数年前には数件だけだったが現在、造成中・調査中のものを含めて六十件にも上る。特に、バイーア方面ではヨーロッパからの観光客目当てにリゾート開発が盛んだ。
 「朝早く起きてカンポを一回り。その後友人と昼食を楽しむ。妻も同伴で」。アルジャゴルフクラブ(近沢宗貴理事長)で浅川正雄さん(二世、年金生活者)にゴルフの魅力を尋ねたら、そういう答えが返ってきた。
 紳士のスポーツと聞けば「男の世界」と思われがち。「接待ゴルフ」とマイナスイメージも沸く。実際に、女性・子供の利用時間を制限するクラブもある。だが、日系人の間では浅川さんのような考えが支配的。駐在員の多いPLゴルフクラブ(田中信理事長)でも最近は、家族連れが目立つという。 
 日系初(私設ゴルフ場を除く)のアルジャゴルフクラブは、六五年六月に創立された。イギリス系のサンパウロレイルウエイ社が、ルーズ駅そばにブラジル初のゴルフ場をつくったのが一八九〇年ごろ。約七〇年遅い。だが、ブラジルで高度成長が続いた七〇年代に日本からの企業進出が顕著化、コロニアでもゴルフが隆盛を極めるようになる。
 ゴルフ人口の三分の一が日系人だ。野村義人連盟副会長は「コロニアの所得が増えたことの表れ。日系人はゴルフの振興に大きな貢献をしている」と話す。
 プロゴルファーはブラジルに約八十人いる。うち海外で活躍中の人は数えるほど。世界に通用する人材が十分に、育っていないのが現状だ。国内オープンの賞金額も最高で一万八千レアル(ブラジルオープン)。例えばソニーオープン(米ハワイ)の優勝賞金額が八十六万ドルだから、桁が違う。
 そんな中、ゴルフ連盟が初めてイギリスからレッスンプロを招聘。二十九日午後、サンフェルナンドゴルフクラブ(コチア市)でジュニアを対象にゴルフ教室を開いた。レベルの底上げを図ろうと、若手の育成に本格的に腰を上げたのだ。指導者層への講習も実施された。
 この日を挟んだ三日間、同ゴルフクラブでブラジルジュニア選手権が開催され、約百二十人が出場した。その多くがレッスンプロの話しに耳を傾けた。
 「若い人がどんどん伸びていかないと将来はありません」と関係者たちは力を込める。第二のタイガーウッズをブラジルで誕生させたい、そんな意気込みが伝わってきた。

 

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