ホーム | 日系社会ニュース | サンパウロ総領事館に勤務=小長谷さんら=〝裏方〟で経験をつむ

サンパウロ総領事館に勤務=小長谷さんら=〝裏方〟で経験をつむ

3月 4日(木)

  国際協力機構・JICAの青年ボランティア、ブラジル日本交流協会の研修制度など、古くから日伯間の人的交流をすすめる団体は多い。社団法人・国際交流サービス協会も古くから交流を続けているが、あまり知られていないのが現状だろう。それもそのはず、領事館や大使館で裏方として働いているからだ。
 小長谷なつきさん(二五、埼玉県出身)と本田賢一郎さん(二四、神奈川県出身)は、在外公館派遣員制度を利用し来伯。在サンパウロ総領事館で、日本からの来客や領事館員の出張時に、ホテルや車の手配などが主な仕事だ。
 国際交流サービス協会は、昭和四十五年四月に設立。平成十五年九月現在、百八十公館に二百五十三人を派遣している。任期は概ね二年間だ。
 小長谷さんは、〇二年九月から来伯した。「語学の修得と社会経験を積むのがこの制度に応募した理由」と明かす。
 ブラジルでの長期滞在はすでに二回目だ。〇一年四月から〇二年三月までリオ連邦大学に留学した。「せっかくだからブラジル人ばかりと付き合っていた」と振り返る。もともとサッカー好きがこうじてポルトガル語を習い始めた。当初は「サッカー関係の仕事が出来れば」と考えていた。
 「ブラジル人が日本文化普及のため、折り紙を教えていた」ことに驚いた。初めての来伯時にブラジルの多様性に触れ、サッカーだけでなく、文化活動やボランティアにも興味を持ち始めた。リオで参加したのは、子どもを対象にした文化普及のボランティア。
 仕事では、「社会人としての人間関係の大切さを学んだ」と小長谷さん。将来は語学を生かして、一般企業に加えてポ語が必要とされる警察官の仕事も視野に入れる。
 本田さんは〇二年三月から来伯した。大学の同輩が次々と留学していく一方で、「留学している自分のイメージが湧かなかった」本田さん。協会の存在を知り、ブラジルで領事館の仕事も出来る期待とあいまって、渡伯を決めた。
 本田さんも来伯は二回目。高校時代にロータリークラブの仲介で、サントスに留学したのが最初だ。「午前は私立の高校、午後はサッカーの練習、夜は友人たちと海で遊ぶ日々だった」と振り返る。住居はホームステイで三回家をかえた。美容院やペルナンブッコ州出身の未亡人などと、次々に家をうつった。ポ語環境と努力で「日本人であなたが一番ポルトガル語がうまいよ」とブラジル人に言われるまでになった。
 今回の成果は「文法や作文などのポ語の勉強をじっくりと取り組めた」と分析。また「昨年十一月の紀宮様のウルグアイ訪問なども随行し支援するなど、様々な世界を見聞きできたのも成果」と強調する。将来は、一般企業への就職を考えながらも、裁判での通訳にも関心を持っている。

image_print