ホーム | 日系社会ニュース | 叙勲者発表=「開かれた総領事館」に逆行?!=〃独断〃で報道規制=西山領事「不徳の致すところ」

叙勲者発表=「開かれた総領事館」に逆行?!=〃独断〃で報道規制=西山領事「不徳の致すところ」

5月7日(金)

 コロニア軽視の日系社会班領事――。毎年、春と秋に日本政府が発表する叙勲の受章者。遠く母国を離れ、奮闘してきた日系人にとって大きな名誉であるだけでなく、受章者一覧は大きな関心を集める。例年邦字紙は、発表前日の二十八日までにサンパウロ総領事館を通じて、受章者の一覧を入手、発表当日の二十九日に掲載してきたが、今年は日系社会班を担当する西山巌領事の不手際から、通常より一日遅れの紹介となる可能性もあった。また本来、受章者の喜びの声なども合わせて掲載してきたが、「受章者への事前取材はしないで」との西山領事の独断から、「味っ気のない」紙面作りを余儀なくされた。西山領事は「勘違いによる失敗。不徳の致すところです」などと釈明したが、「開かれた総領事館」を名乗る姿勢からは程遠い領事業務に疑問が残る。

 今年も四月二十九日に、四千十七人が受章した春の叙勲。ブラジルからは八人が「晴れの日」を迎えた。
 邦字紙ではこれまで受章者が発表される二十九日付けの紙面で、氏名や経歴に加え、受章の感想などを掲載してきた。
 叙勲を担当する内閣府では、二十九日付けの紙面にしか掲載しない、との条件付きで約一週間前に新聞やテレビなどマスコミ各社に資料を配布。発表当日には氏名だけでなく、事前取材した受章者の努力ぶりや喜びの声が紹介される。
 邦字紙でもこれまでは、事前に総領事館を通じて資料を入手。「発表までは記事化しない」との原則を守り、受章者に取材。異国に渡って苦労してきた受章者の生き様や人生観を紹介してきた。
 紹介される本人だけでなく、読者にとっても二十九日の紙面は「心待ち」にされてきたわけだ。
 ニッケイ新聞社では例年通り、前日の二十八日に受章者の一覧を知ろうと、西山領事に資料を依頼した。ところが、今春から日系社会班を担当する西山領事は「日本での発表が二十九日なので、それ以降でないとダメ」などと従来、行われてきた発表を拒否。度重なる邦字紙二社の要請により、締め切り直前の二十八日夕方に、Eメールで資料を送付してきた。
 記事資料と題された発表資料には「叙勲者の公式発表が行われるのは、四月二十九日ですので、報道は厳に同三十日よりとして頂くようお願い致します」と明記。しかし、これは日本国内のマスコミに「二十九日午前五時から報道可能」とした内閣府の対応とは食い違う。内閣府担当者はニッケイ新聞の取材に対し「国外のマスコミも締め切りは同じ。サンパウロ総領事館の意図が分からない」と西山領事の独断であることを明言する。
 西山領事は「日本で二十九日に正式発表されるので、その翌日にしか新聞に出せないと思った」と勘違いであることを強調。また、内閣府では認めている事前取材を禁止したことについても「初めて叙勲を担当したので、失敗した。不徳の致すところ」などと釈明し、今後は日本のマスコミと同様に最低でも一週間前には資料を発表することを約束した。
 「勘違いによる失敗」と繰り返す同領事だが、サンパウロ総領事館の勤務は、二度目だけにコロニアにおける叙勲の重要性は認識しているはず。今回は、邦字紙が厳しく要求した結果、日本のマスコミと同日に紙面化できたが、コロニアの読者は一日遅れで記事を目にした可能性も大きいわけだ。赤阪清隆前総領事時代に「開かれた総領事館」をうたい、着実な改善に取り組んできたサンパウロ総領事館。今年七月の参院選では、初の公館投票も予定する同総領事館だが、担当する日系社会班がこの有り様では、心許ないと言わざるを得ない。

image_print