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コラム 樹海

 さきごろこの欄で、太平洋戦争勃発の年、一九四一年、ブラジルに来た移民船について書いた。すぐに戦前最後の移民船『ぶえのすあいれす丸』の着港が九月とあるのは誤りです、という指摘をいただいた。N・Tさんという女性、七十四歳の電話であった(調査の不十分をお詫びします)▼実は、ブラジル生まれのNさんはこの『ぶえのすあいれす丸』に乗って、日本へ向かっているのである。十一歳だった。八月十四日サントス出港とはっきり記憶していた。日本の船で、しかも乗船者のほとんどが日本人にもかかわらず「十三日は不吉だから、十四日に出港を延ばした」と証言した▼七十四から十一を引いてみるとわかるが、六十三年前の話だ。同船は神戸からサントスに航海したときにマゼラン海峡を経由したと同様、帰路も同海峡を通った。枢軸国の一つドイツの潜水艦が護衛してくれたという。パナマ運河は米国の制海権、というより戦時態勢のため航行不可能だったのに違いない▼幼かったが、Nさんの記憶力はいい。同航者のなかに、のちに連邦下院議員になった平田進さんがいた。平田さんはこの年一月、法大を卒業したばかり▼当時、ブラジルから日本に向かうブラジル人の若者(国籍は二重)は、勉学か、日本人の子として日本に尽くす(つまり、軍組織に志願する)ため訪日していた▼自分史は移民史、日系社会史にもなる。Nさんのような体験をしている人は、ぜひ書き残しておきたいものである。(神)

04/05/19

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