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アサイの「子供の村」支援=日本から古着、ミルク送り続ける=田中さん、村の乳児院25周年に来伯=これからも創設者の遺志継ぎたい

6月10日(木)

 パラナ州アサイ市にあるアモレイラ「子供の村」に古着やミルクを送るなどの支援を続けている田中総子さん(在日本)が、子供の村の乳児院創立二十五周年の祝いと子供の村創立者ビトル・マルゴット神父の墓参のために、八日朝来伯した。田中さんは,七〇年代,ブラジルに滞在中、カトリックの洗礼を受け,帰国後も有志とともに「子供の村」維持運営に関わってきた。
 子供の村は、マルゴット神父(ベルギー人)により設立された、孤児や諸事情により両親と一緒に住むことのできない子ども達が生活するための施設で、現在約二十五人が暮らしている。
 マルゴット神父は、戦後日本で二十年以上貧困者のために活動を続けており、日本語に堪能だったことから、一九七二年、日系人を支援するためにブラジルに渡った。マルゴット神父から一九七五年に洗礼を受けたことをきっかけに、田中さんは「子供の村」の支援を始めた。
 一九七九年、神父を手助けしようと長崎純心会のシスターが子供の村に乳児院を設立した。一九八一年には、田中さんが松原教会の有志に働きかけて、アモレイラ「子供の村」を支援する会(若杉由旗子会長)が立ち上げられた。
 また、京橋ライオンズクラブは長年「子供の村」を支援してきたが、この度同クラブが四十周年を迎えた記念にこれからも変わらずサポートを続けていくことを約束し、田中さんに寄付金の橋渡し役を依頼した。
 「生きているうち
  はたらけるうち
  日のくれぬうち」
との言葉を残したマルゴット神父は昨年子ども達に見守られながらこの世を去った。「神父様がブラジルに蒔かれた愛の種」と田中さんが表現する神父の活動は、田中さんら多くの人々の心を動かして神父亡き後も広がっている。「マルゴット神父の遺志をついでこれからも関わっていきたい」と田中さんは熱っぽく語る。
 また田中さんは、東京潮見にある「ぶどうの木ロゴス点字図書館」の協力を得て、日本語テープ図書館を創る準備を進めている。目の見えない人や忙しくて本を読む時間の無い人たちのために考案されたもので、すでに千二百本のカセットテープが出来上がっている。今回新たに約百本を日本から持ってきた。
 

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