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「俳句」「短歌」よその国の事情(4)=一世から継がれる文芸運動 シアトル,若手も参加

7月2日(金)

  米国西北部日系移民の中心地、シアトルはかつて文化的移民地であったといわれる。日露戦争(一九〇四―〇五)後から第一次世界大戦(一九一四―一八)まで、日系人口の上回るハワイ、カリフォルニアをしのぐ勢いで評論、小説、演劇などの文芸運動が興隆。短歌、俳句をたしなむ人の数も急増した。
 当地の文芸活動の先陣を切ったのは、俳句グループ「沙香会」(一九〇六年結成)。自然を題材にしたものが多いが、「移民群れて乗船了へぬ夏の月/荻雨」「自棄酒も放浪の旅や元日に/三山」など海を越えた一世たちの心境を詠んだものもある。
 一方の短歌の最も古いものは「コースト会」で、一九一〇年に創立された。同グループの中心人物、西方長平(更風)氏は、「人によっては、与謝野晶子に、人によっては石川啄木に、あるいは吉井勇、若山牧水、北原白秋に傾倒した。…(中略)…俳句は主として、淡影、梨村、茶礼、風雲、横臥堂ら比較的年輩のものがはやり、短歌は苔華、青花、みどり、袋村、渭城、風外、聖風ら若いものが多かった」と回想した。(「北米百年桜」伊藤一男著、一九六九年発行)
 英語を苦手とした一世にとって文芸創作は日本語で心情を表す格好の場だった。当時の短歌は望郷、郷愁の情を詠んだものが目立つ。
 「帰りたや恋の日本へ帰りたや空気草履の音が聞きたや 池部苔華」「永劫に憩ふべき地をキャピタルの岡にえらべるわれは悲しも 平井梢雲」
 太平洋戦争が勃発すると、一世たちは強制収容所の塀の中で俳句や短歌を詠んだ。収容前から創作していた人はもとより、入所後に手ほどきを受けてこの道に入った人も多い。北米報知社がアイダホ州ミネドカ収容所内で発行していた「ミネドカ・イリゲーター」紙には毎号のように短歌・俳句、川柳が掲載された。
 現在、会員数約二十人のシアトル短歌会の前身は、一九年に発足した「華陽会」。日米開戦(四一年)により一時解散した同会の田中葦城、金子伸三両氏はミネドカ収容所内で「峰土香短歌会」を結成し歌作を続けた。会員の一人、野村鷹声氏がシアトルに戻って発足させたのが同会だ。同氏は二〇〇一年、百歳で死去したが、短歌会の活動は「NHK歌壇」(平成十二年二月号)でも紹介された。
 帆足敏子代表は「若手も近年は参加している。八十年続くこの会を今後もぜひ続けていきたい」と話す。同会は毎月第二月曜に会員が二首ずつ持ち寄り、合評会を続けている。

■「俳句」「短歌」よその国の事情(1)=自由な集まりの中、自由な俳句を楽しむ=ニューヨークの俳句会
■「俳句」「短歌」よその国の事情(2)=作句はずばり「暮らし」 カナダのバンクーバー3つの同好会
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■「俳句」「短歌」よその国の事情(5)=俳句結社の交流図る=ロス、生命賭けた羽畑昭雄さん
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■「俳句」「短歌」よその国の事情(終)=富永美代さん「楓美」主宰=モントリオールに短歌の花を
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