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斎藤さん=あるがまま受入れ=10代同様今もロマン派

10月23日(土)

 「一つ一つの詩にそんな深い意味なんてないよ」と斎藤光之ジュリオさん(73)は自信の句について言う。
 受賞作「夏草や怒涛の如く牛五千」では、牛の群れが青草目がけ猛烈な勢いで走って行く様子を表現している。「転ぶ牛も、跳びはねるのもいてねー」とその光景を目にした時の興奮を語る。
 机に向かって句を考えることはしない。代わりにシャツの胸ポケットには、いつも紙とペンを忍ばせてある。ふと沸いた感情を書き留めるためだ。
 九歳の時に戦争が始まり日本語教育が禁止される中、隠れて手当たり次第に日本の雑誌を読んだ。その時、少女画報の文芸欄で詩と出会った。「これなら私にも出来る」と投稿を始める。当時住んでいた移住地からも日本人はどんどんいなくなり、同世代の友人がいなかったことから、詩や俳句の世界に引き込まれて行った。青春時代を共にした俳句への思いは一入だ。
 「俳句に携わる人は日本語を残そうとしている人がほとんど。でも、平均年齢は八十歳を越えているからいずれなくなるだろう」と、そのことを受け止めながらも少し寂しそうに言う。
 七百八十名以上の開拓犠牲者を出した悲劇のブレジョン植民地(サンパウロから西へおよそ六百km)で一九三一年生まれ、四歳で同移住地を離れ転々とした。幼い頃に失った右耳の聴力に加え、三十一歳の若さで左耳の聴力も失っている。二十三歳の時にサンパウロ市の隣にあるフランコ・ダ・ロッシャ市に入り、小さな商店を始め現在に至る。
 あるがままを受け入れて来た斎藤さんだが、時には耳のことで不満を口にすることがある。そんな時には斎藤さんの耳代わりとなり、苦労を共にしてきた妻の栄子さん(68)が「目が見えないよりはずっとありがたいでしょ」と優しく慰める。
 十代の頃に作った俳句を見せてもらった。
 「封切れば君の香水仄かにも」
 ロマン派とからかわれたそうだ。記者が「今は?」と問いかけると、「今でも、そうだよ」と、栄子さんの方を向き笑ってみせた。

ブラジル俳文学会(間島稲花水主宰)所属。

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