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14世紀の古文書=日伯間を往復=苫米地さん戦前携行=ことし花巻博物館に収まる=旧家だから残った=ブラジルでゴミになる?前に〝寄贈〝

11月18日(木)

 岩手県人、苫米地静子(とまべちしずこさん、90、花巻市出身、パラナ州パライゾ・ド・ノルテ在住)の家族が、移住時、ブラジルに携行してきた、古文書が、さきに開館した花巻市営博物館に保存、陳列され、静子さんに、同館から感謝状などが送られてきた。静子さんの栄誉である。このほど、岩手県人会宛て「人生とは、明暗織り交ぜた不思議な仕組みになっている」と手紙で気持ちを伝えてきた。
 静子さんは、本紙既報のように、女学校時代の親友に宛てる「届かなかった手紙」ならぬ「(戦中の混乱、労苦により)書きたくても書けなかった手紙」の主(ぬし)。戦中の空白後、戦後(二人が)消息をつかめたあとは、堰を切ったように手紙を交換し、それが、苫米地静子書簡集の形で一冊の本にまとめられた――そういう人だ。
 花巻市営博物館に収められた古文書は、苫米地家に伝えられた、あるいは旧家・苫米地家の祖先が書き残したものだった。もっとも古いものは「足利尊氏下文・高師直達書」(一三三五年、建久二年)である。同年からの(苫米地家の)系図、覚書などに花押(かおう)があるという。
 古文書は、静子さんの亡父吉郎さんが、戦前、移住の際、携行してきた。九四年、静子さん自身も読めない(草書の)書類を「わが家に仕舞っておいたのでは、自分亡きあとゴミ同然になる」と察し、日本の知人、苫米地宏氏に送った。
 当時、花巻市では市営博物館建設の企画があり、資料も集めている、と知った宏氏が、市側に相談したところ、博物館準備室が喜んで受けるといい、日本とブラジルを往復した古文書は、無事、博物館に収まることになった。
 準備室側からは、静子さん宛て、まもなく丁重なあいさつがあり、古文書などのコピー写真本が送られてきた。
 博物館は、去る四月開館。静子さんに花巻市から市長名でイナウグラソンへの招待状と、「資料充実」への協力に対し、感謝状が贈られた。静子さんは折り返し、欠席の詫び状を発送するとともに、処分方法が長年の悩みであった古文書が、故郷の博物館に収まったことを、仏壇の亡父に報告したという。さらに八月、博物館から開館式典や館内写真記念帳、パンフレット、常設展示図録などが送られてきた。
 苫米地家古文書資料目録の古い分はつぎのとおりである。(1)足利尊氏下文・高師直達書、一点二通継(一三三五年)、(2)南部政直黒印状*知行証文*百姓高書、二通二枚折り(一六二〇年)、(3)苫米地家由緒書き上げ、一通(一七四一年)、(4)検地証文、苫米地久次宛て(一六六七年)、(5)傳馬証文、花巻御台奉行苫米地多左衛門使用の傳馬、一通(一八〇二年)。

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