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出稼ぎ先で被災 九死に一生得る=車椅子で執念の帰国=サ・アマーロ区筒井律子さん=松葉杖で歩けるまでに回復=阪神・淡路大震災から10年

1月18日(火)

 六千四百三十三人の尊い命を奪った阪神・淡路大震災から十七日で十年。芦屋市内で出稼ぎ中に被災し、九死に一生を得た女性がサント・アマーロ区内にいる。倒壊した建物の下敷きになり、重傷となりながらも日本で約二年間のリハビリを経て、ブラジルに帰国。当初は「車椅子生活を余儀なくされる」と医師に告げられたにも関わらず、現在では松葉杖で歩けるまでに回復した筒井律子さん(80)だ。「日本とブラジル両国の皆様のお陰でこれまでたどりつけました」と深い感謝の意を示す筒井さん。十七日にサンパウロ市内で開かれる兵庫県人会主催の追悼ミサにも出席する。

 北海道生まれの筒井さんは、五歳の時に両親と共に来伯。初めての帰国が一九九一年六月の、出稼ぎだった。芦屋市内のある社長宅に住み込み、社長の母の話し相手を仕事にしていた。
 数多くの人々の人生を狂わすことになる震災が発生する同日午前五時四十六分。そのほんのわずか前、筒井さんは、ブラジルでは目にすることが出来ない雪の撮影をしようと、カメラを手に庭に立っていた。
 「突然、生暖かい風が吹いてきておかしいと思ったので家に駆け込んだんです」。二階建ての住宅の一階にいた筒井さんに震度七強の凄まじい揺れが襲い掛かった。
 「これが地震か」。逃げようとするたびに揺れで床に倒れた筒井さんは、三度目の大きな縦揺れで天井まで飛ばされ、崩れてきたコンクリートに押しつぶされたという。
 「もう最後だ。せめてもう一度子供や妹に合わせて下さい」。震災発生から四時間ほどたち、神に祈りを捧げた直後、周囲から人の声が聞こえてきたため、筒井さんは「助けてーっ」と全力で叫んだ。
 「ここにも誰か生きているぞ。頑張れ、今助けるから」と声を掛けられたものの、崩壊した建物を取り除く救出作業は難航した。
 周囲の住民らが、近くの建築会社から鋸や鍬などを持ってきて、瓦礫を撤去。九時間後にようやく助け出されたという。
 頭を三十六針、左足を骨折、右手首と左手の指はつぶされるなど瀕死の重傷だった。「周りを見ると道路に負傷者がたくさん寝かされていた。本当に地獄絵でした」と筒井さん。芦屋市内の病院への搬送は十八日早朝だった。
 負傷が癒えた後、入院先の病院で一年半、さらに大阪のリハビリ専門病院で半年を過ごした筒井さんの心の支えは、やはりブラジルに残した息子らだった。「皆に会いたい。絶対ブラジルに戻ってみせる」。車椅子で生活するまでに回復した筒井さんが帰国する時担当医はユーモアたっぷりに言った。「あなたは生まれ変わったんだよ。これから二十年経ったら、成人式だね。お祝いにブラジルに行くよ」
 九六年九月、グアルーリョス空港に到着した筒井さんを息子やサント・アマーロの婦人会の友人らが出迎えた。「もう一度、石にかじりついてでも歩いてみせる」と固く誓う筒井さんのもとを毎日のように婦人会の友人らが訪れ、激励。一年も経たないうちに松葉杖ながら歩けるようになった。
 「皆様のお陰で命を助けていただき、今こうして生活できている」。毎年一月十七日は、筒井さんにとってあの恐怖を思い出すと共に、「生」に対する実感を噛み締める一日でもある。「私のような目に遭っても悲観しなければ、絶対に何とかなることを伝えたい」
 追悼ミサでは犠牲者の冥福を祈るだけでなく、自らの経験を伝えたいと強く願っている。

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