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〃元気印〃の2450歳が行く=ブラジル農協婦連、パラグァイで交流(上)=ラパス移住地ことし50周年=重点項目、高齢者対策など

2月2日(水)

 ブラジル農協婦人部連合会(ADESC)がパラグァイに親善訪問団を派遣して、去る一月二十五日と二十六日、ラパス(La Paz)とイグアスー(Yguazu)二移住地で婦人部との交流を行い、親善を深めた。訪問団には上芝原初美会長を団長に、四名の副会長・玉腰豊子、池田桂子、飯田正子、吉泉美和子さん、栖原マリーナ事務局長も参加し、組織最強の構成となった。参加した団員三十九名の合計年齢が二千四百五十歳で、全行程を貸切りバスで移動した。
 サンパウロ出発二十四日午後、帰着二十八日午前、とかなりの強行日程だったにもかかわらず、〃元気印〃そのもので、不調者一人もなく、予定通りの日程を消化した。
 訪問したパラグァイは二日間とも晴天に恵まれて、明るい交流となった。
 二十五日の昼前、ラパス移住地に着いた親善訪問団は、農協正門でラパスとピラポ農協婦人部員から温かい歓迎を受け、サンパウロから二十時間近くの長旅の疲れが一気に吹き飛んだ。
 日本人会館で行われた歓迎昼食会には宮里伝市長(広島県)、佐々木広一・日本人会会長(北海道)、後藤吉雅・農協組合長ら行政と、日系コロニアの代表も参加した。歓迎挨拶の中で佐々木日本人会会長は「ラパスに日本人が移住して今年で五十年を迎える、高齢者対策と日本文化の継承を重点項目においている」と紹介した。
 ラパス市の人口は約三千二百人で、その中に六百七十人の日系コムニティがある。宮里市長はパ国の駐日大使となった田岡功さん(徳島県出身)の後任だ。
 一世が行政の頂点に立つほど、日本人移住者の貢献が市民から高い評価を受けている。ラパス農協婦人部の部長は佐々木規子さん(北海道)だ。日本人会会長の夫とおしどりで移住地の発展のために尽力している。「私たちの農協婦人部は会員が五十名です。今日は全員で交流会に参加しました。実は、二〇〇三年十一月三十日から三日間、二十七名でサンパウロを訪問して、ADESCの皆さんと交流をしてきました。それが今日につながったのです。心待ちしていた皆さんが来てくださったので、一層身近に感じました」と迎えた側の喜びを述べた。
 農閑期には婦人学級を開いて、料理や手芸などを学んでいるようだ。交流会会場には婦人学級の成果ともいうべき自慢の手芸品が並んでいた。歓迎昼食会に出された料理はすべて手づくり、しかも、コメ、豆腐、野菜などすべて自家栽培の産物だった。
 今回は、ラパスから五十キロのピラポ(Pirapo)移住地の農協婦人部から代表九名が交流会に参加した。代表の小山あや子さん(秋田県)は「今日は感激しました。ブラジルの婦人部の皆さんは元気で明るいですね。二世の皆さんとしゃべれないと思っていたのに、日本語で気楽に会話ができて嬉しかったです。二月十五日に三十七名でサンパウロに行くのがとても楽しみになりました」と参加した喜びを表明していた。
 一行は交流の合間をぬって農協の製粉工場を見学した。組合の自己資金で二〇〇二年に完成した工場は近代設備を誇り、二十四時間操業で小麦粉百トンを生産する機能を備えている。今年は二万八千トンの生産を見込んでいるという。
 原料の小麦も大豆の二毛作として組合員が栽培している。「ラパスの皆さんはきれいな日本語を話しているのに感動した」とは複数のADESC団員の率直な感想だった。日本語が生きている喜びをも共有する交流会となった。

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