ホーム | 連載 | 2005年 | 〃元気印〃の2450歳が行く=ブラジル農協婦連、パラグァイで交流 | 〃元気印〃の2450歳が行く=ブラジル農協婦連、パラグァイで交流(下)=強く残る日本語=イグアスー移住地 日本祭り参加呼びかけ

〃元気印〃の2450歳が行く=ブラジル農協婦連、パラグァイで交流(下)=強く残る日本語=イグアスー移住地 日本祭り参加呼びかけ

2月3日(木)

 前日、ラパス(La Paz)移住地で同移住地とピラポ移住地の農協婦人部との交流を終えたブラジル農協婦人部連合会(ADESC)の親善交流団三十九名は、一月二十六日、国道を逆戻りしてイグアスー(Yguazu)移住地に向かった。
 ブラジルとの国境にあるシダデ・デル・エステからラパス、ピラポ移住地に通じる国道の両側には延々三百キロにわたって広大な大豆畑が広がっている。まさに、豊饒の大地だ。この一帯が肥沃な赤土(テーラ・ロッシャ)に恵まれた穀倉地帯であることを物語っている。親善交流団は、この光景からパラグァイの自然の豊かさの一面を実感して感動した。
 二十六日、午前十時過ぎ、イグアスー農協に到着した交流団は堤広行・副組合長(青森県)、篠藤真喜男・総括参事(愛媛県)、幸坂幸子・日本人会婦人部長(神奈川県)の説明会に臨んだ。
 一九六一年にラパス移住地から十四家族が移転してきたのが移住地の始まりだったことを知らされて、前日訪問したばかりのラパス移住地での交流が団員の脳裏に甦った。
 ラパスとピラポ移住地では農協婦人部であるのに対して、イグアスー移住地の婦人部は日本人会の系列にあることも初めて知った。さらに、ラパス、ピラポは渡パ五年前後の初期移住者が中心の移住地なのに、イグアスーでは一九七〇年代に入っても新規移住者が入植が続く、一種の〃さみだれ〃現象があった、という。
 このため、イグアスーは両移住地よりも日本語がより強く残っている。ラパスでさえ純粋な日本語が生きていることに感動した団員にとって、一層の驚きであった。
 幸坂婦人部長は農協スーパーに毎週五日(月~金)、作りたての「惣菜」を出しているプロジェクトD(本紙・〇四年十月二十七日報道)の代表者でもあるため、女性同士の活発な質疑応答が行われた。「和食を普及する可能性はまだまだあります。農協の中に加工部門を設けて、女性の役割を高めていきたい。祝日には農協スーパーに特別メニューの和食を出している」など興味津津の回答と意見に納得顔の面々であった。
 採算よりも年配者や非日系消費者に喜んでもらえる和食作りに心がけている、という。説明会に続いて、堤副組合長と幸坂婦人部長の案内でヒメマツタケ工場、農協直営の製粉工場とサイロ、農協スーパー、太鼓工房、JICAパラグァイ総合農事試験場(CETAPAR)、非遺伝子組み替え大豆オーロラ畑などの視察を行い、イグアスー移住地の多面性に理解を深めた後で、交流会に臨んだ。
 会場には婦人部員自慢の手づくり料理が並び、視察を終えて気持ちを充足したADESC交流団員の食欲をそそった。移住地の婦人部は、〇三年にサンパウロでの第六回日本祭りにADESCと合同で参加したことがあるため、参加者たちは再会を喜び合い、賑やかな交流となった。交流団の上芝原初美団長らは「今年の日本祭りにもぜひ参加を」と呼びかけていた。
 交流会の会場を提供した農協の井上幸雄組合長(奈良県)は「大豆オーロラが取り持つ縁で、皆さんの相互交流が一層強まりますように」と大きな期待を表明した。
 隣国同士、ブラジル農協婦連とパラグァイのラパス・ビラポ・イグアス三移住地婦人部の心の距離が縮まり、絆が太くなった親善旅行となった。
■〃元気印〃の2450歳が行く=ブラジル農協婦連、パラグァイで交流(上)=ラパス移住地ことし50周年=重点項目、高齢者対策など
image_print

こちらの記事もどうぞ