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大阪橋袂、家無し日本人男支援の是非=福祉活動とは?=「援協は冷たい」地元商店主=援協「助け求めて来ない」

2月4日(金)

 大阪橋の袂で暮らす日本人男性のホームレスに対する支援の是非は、福祉の根本的な意義を問うている。辞書的に言えば、福祉は生活困窮者や家出少年、身体障害者などの保護・指導を行うことだ。だが、本人が援護を望まないのなら、善意の押し付けや人権侵害にもつながりかねない。

 サンパウロ日伯援護協会(和井武一会長)がとりあえず静観の姿勢を取ったことで、ガルボン・ブエノ街の一部商店主から非難の声が上がった。ホームレスはそもそも困窮者か否か。表面的な事象だけで善悪を判断するのは、危険のようだ。
 「援協の態度は、冷たいんじゃないか」。ある商店主は声を荒げて話す。援護を要請したのに、肯定的な返事がもらえなかったからなおさらのこと。今にも、怒鳴り込んでいきそうな雰囲気だ。
 「援協は総領事館を通じて、日本政府から移住者保護謝金を受けているはず。形だけの面談で済ませるのではなく、食事を持っていくなどして、もっと親身に話を聞いてあげてもいいんじゃないだろうか」
 家庭が崩壊し、行き場を失った男性。身分証明証を取得するまで、とは言うものの、段ボールなどでつくった住居で雨露を凌ぐ。自ら進んで物乞いをするわけではないが、通行人の喜捨で生活していることに変わりはない。
 まして、この商店主と同じく戦後移民だ。惻隠の情が起きるのは、ごく自然な感情。福祉団体への反発になって現れるのも、無理は無い。「リベルダーデ文化福祉協会のお膝元なのに、名ばかりで関係者は動く気配すら見せなかった」。
 「相手が助けを求めてきた時に、手を差し伸べるのが福祉の仕事。こちらから押しかけて行って、無理に施設やペンソンに入れることは出来ない」。援協に約三十五年間勤務、昨年いっぱいで定年退職した山下忠男前事務局長は常日頃、職業倫理をそう説明していた。
 具志堅茂信事務局長もこの考え方を受け継ぎ、「本人が嫌がるのを無視して強制的に連れて行こうとすれば、人権侵害として訴えられる恐れがあります」と慎重な態度を見せる。この男性は施設への入所を拒んだので、当然静観せざるを得なかった。
 ホームレスは、むしろ路上生活を好む傾向がある。施設は、食事時間や門限などで束縛を受けるからだ。簡易宿泊所が目と鼻の先にあっても、利用する素振りすら見せないこともある。これでは、自らの意思で路上生活を決めたということになりはしないか。
 「乞食を三日もすると、簡単に止められないのです」。福祉の専門家は、皮肉を込めてそうぼやいた。確かに、人々の善意にすがれば、労働することなく食いつないでいくことが出来るのだろう。
 「その日暮らしが保証されているので、ホームレスは困窮者とは言えない」(関係者談)
 実際、この男性は人通りの多い通りに陣取ったので、小銭や軽食にありつけるようだ。そのため、「自分のやっていることが恥だと思うなら、橋の下とか目立たない場所で身をひそめているのが普通じゃないか」と突き放す声すら聞かれるくらいだ。
 サンパウロ市では、貧困撲滅にマイナス効果だとして、乞食やストリート・チルドレンに金品を与えてはならないとする、キャンペーンが起こりつつある。
 勤労意欲を失って、物乞いになっていった人々。本人の意思に関わらず、そういう生活環境自体が困窮状態とも解釈できそう。前述の商店主は「援協には、この男性が社会復帰出来る最適な解決方法を考えてもらいたいのです」と切実に訴えている。
 福祉の原理と世論の板挟みになって、援協も苦しんだ。具志堅事務局長は「頭が痛い」ともらす。沖縄県人会が同郷人の援護に名乗りを挙げたことで、問題は決着に向かいそうだ。ただ、今後も同じ様なケースが生まれるかもしれず、課題は残されたままだといえる。

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