ホーム | コラム | 樹海 | コラム 樹海

コラム 樹海

 近ごろは「グルメ」だの「食通」とかが大はやりで談義が尽きない。やれフランスに限るの論から炎が生む支那料理に秀いでるものはないと頑張る一派。これにイタリアのスパゲッティが加わりスペインのパエーリャまでが飛び出し味覚論者らの議論は止まるところがない。こんな肥満の哲学も大いに結構なのだが―食べれば排泄も欠かせない▼ヒトや馬も。ペットの愛犬やシャム猫も動物という動物は食べた後は排泄する。ヒトなら一日に五回から六回はトイレのお世話になって「すっきり」する。下痢や頻尿の人はもっともっと回数が増えるが、どういうわけなのか「トイレの話」を好きな人々は真に少ない。まあ余り上品とは言い難いのだけれども、今や「トイレ学」とでも称すべき本も多いし、もっとオープンになってもいいような気もする▼トイレと簡単に言うけれども日本では、厠、後架、閑所、青椿、陰所、雪隠、御不浄、手水場、お手洗い―等など。禅寺では東司と呼んでお世話になるときには真面目にお経をあげて「有り難がる」そうだが、これは尤もな話ではないか。それと―大が終われば尻を拭くのは多くの生き物のうちヒトだけなのも不思議といえば不思議▼欧米や日本とブラシルなどはトイレット・ペーパーが普通だけれども、イスラムの人々は水で洗うのが決まりで左手を使うのが常道。草の葉や縄もあり、板を幅3㌢位・長さを20㌢ほどに切った籌木(ちゅうぎ)もある。まあ―ご不浄の話は楽しくもまた難しい。今や「世界トイレサミット」が開かれる時代なのである。大いに語らい論じて「学の輪」を深く広げたい。 (遯)

 05/2/15

image_print