ホーム | 連載 | 2005年 | パラグァイ=ピラポ農協婦人部=ブラジルで交流 | パラグァイ=ピラポ農協婦人部=ブラジルで交流(中)=多彩さと品質の高さ=カゼイロ市に感嘆の声

パラグァイ=ピラポ農協婦人部=ブラジルで交流(中)=多彩さと品質の高さ=カゼイロ市に感嘆の声

2月26日(土)

 二月十七日、夏時間の朝六時はまだ暗かった。ブラジル農協婦人部連合会(ADESC)の上芝原初美会長をはじめ会員たちは、セアザ(中央卸売市場)の近くにあるSBC病院前で即売場と朝食の準備を整え、パラグァイのピラポ農協婦人部のブラジル農業視察・親善交流団の到着を待った。
 ピラポ移住地とサンパウロ市は陸路で約千三百キロ離れている。一行は貸切りバスで午前六時半にSBC病院に到着する予定だったが、途中まで出迎えに行ったブラジル農業拓植協同組合中央会(農拓協)の長田勝事務局長から連絡が入った時は八時半を過ぎていた。午前九時、待ちに待ったピラポ農協婦人部一行三十八名を乗せた大型バスがSBC前に到着した。十数時間のバス旅の疲れも見せない〃三十八の笑顔〃をADESCの面々が出迎えた。
 到着時間が遅れたのは、国境にある「友情の橋」を通過するのに四時間もかかったからだ。一行の団長と副団長は男性だった。婦人部の計画とはいえ、主催がピラポ農協のため、農協理事が引率責任者となったのだ。団長を教育担当理事の小野寺憲一(岩手県)、副団長を利用担当理事の土居卓也(愛媛県)が務め、職員の沖中美恵子(旧姓・河田、愛媛県)とマスザワ ウーゴ(二世)が補佐し、四人体制で婦人部を支援する力の入れようだったことは特筆に値する。
 農協婦人部の小山あや子部長(旧姓・及川、岩手県)、山下加恵副部長(旧姓・堀川、高知県)、ピラポ市長夫人の永見久子(旧姓・高木、愛媛県)、組合長夫人の山下美子(旧姓・高橋、愛媛県)らも参加している。
 SBC病院に到着した女性たちが最初に感嘆の声をあげたのは、陳列された手づくり食品、手芸品、野菜類、花卉類の多彩さと品質の高さだったようだ。特に、手づくり食品は新鮮さが決め手のため、ADESC会員たちは前の晩遅くまで調理をして、フェイラ当日の早朝に会場に並べる。毎月第二木曜日にSBC病院前でフェイラを開いて今年で十一年目だ。「継続は力なり」を暗示するかのように、ADESC商品は新鮮でからだに優しい、と好評だ。
 今月は、ピラポからの仲間たちを迎えるために、一週間遅らせて第三木曜日に実施した。ブラジルでの交流の第一歩からピラポ移住地の女性たちはADESC会員のバイタリティに圧倒されたようだ。
 気をとり直してサントス港に向かい、幼少の時に両親や兄弟と立ち寄ったかすかな記憶を甦らせていた。十六年ぶりにブラジルを訪問したという矢野辰子(旧姓・千田、岩手県)は「サントスは大きく発展しましたね。でも、とても懐かしいです。(パラグァイに)移住する途中でサントスに寄港した時に、父がバナナを買ってくれて、お腹いっぱい食べたのを思いだします。私は三姉妹の一番下で、五歳でした」と述懐していた今回の旅行にはこの三姉妹も一緒に参加している。
 夜はサンパウロ市内のホテルで農拓協主催の歓迎夕食会に臨んだ。ブラジル側の案内役として、農拓協の長田勝事務局長と久保和美、ADESCの池田桂子、玉腰豊子、吉泉美和子三副会長と栖山マリーナ事務局長が二月十七日~十八日の全行程で行動を共にした。(文中・一部敬称略)

■パラグァイ=ピラポ農協婦人部=ブラジルで交流(上)=ADESCに刺激受けた若い〃同士〃たち38人

image_print