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記者の眼=溝埋まらなかった百周年準備説明会=大事なのは箱物より団結

3月15日(火)

 祭典協会側、一般コロニア側、双方の意見が開陳された意味深い百年祭準備説明会だったが、ただ単にお互いの意見を言い合うだけで、何の結論が出るわけでもない点が残念だった。
 祭典協会にしてみれば、すでに総会で決まったヴィラ・レオポルジーナの日伯総合センター案を説明して総意を得たいという思いで開催したのだろう。賛同者の声も当然あるが、大半を占めたのは批判的な声だった。むしろ今回、いまだ総意とはほど遠い状況であることが再確認された。
 祭典協会が繰り返し主張するように、総会で決めたことで「形式的な総意」には達している。法律的にはなんら申し分ない。しかし、政府や議会じゃあるまいし、一般市民がそれに従うかどうかは、まったく別問題だ。
 臨時総会の当日に発表して採決という、強引とも言える議事進行で即決してきた日伯総合センター案。本来は、決める前にこのような説明会をすべきだったという声も聞こえる。表面上は、センター案批判という形をとっても、実際は、運営手法に異議が申し立てられている場合も多い。
 日伯総合センターは、JICAが支援した調査プロジェクトが元になっている。二世研究者に日系社会の二十年後の将来を検討してもらうという発想のもの。つまり、もともと一世抜きで発想した同センター構想が百周年に持ち込まれた。
 しかも、時を同じくして、この構想を作った大学教授ら中心メンバーが文協の主要役員となり、そのまま百周年へ流れ込んだ。時の文協執行部は全員入れ替えだったため、「五団体」など以前からの〃伝統〃は継承されなかった。
 いろいろな人が登場して様々な発言をしている。あたり前だが、誰一人、悪意を持ってやっている訳ではない。一生懸命、それぞれの立場から立派なものにしようとはりきっている。
 最初のボタンの掛け違えが現在の事態を生んだとすれば、実に不幸なことだ。
 日系社会の将来は、一世抜きに考えるものではないのと同様に、二世抜きで考えるものでもない。このバランスが重要だ。バランスの差配が、時代を反映して絶妙であればあるほど、代表団体の人事として相応しいものなると思う。
 いずれ一世が減るとはいえ、一足飛びに一世を外したことに今回の「総意問題」の根があるのではないだろうか。
 急がばまわれ――。確かにルーラ大統領は五月に訪日する。それまでに記念事業の総意を固めることは理想だが、現状がこう着状態であることは誰の目にも明らかだ。
 大事なのは、百周年を機に日系社会が団結を強めることであって、立派な建物を作ることではない。百周年を機にバラバラになりかけるというのは、いただけないシナリオだ。
 今回の説明会参加者から、「本当に必要なら、二〇〇八年に定礎式をやってもいいじゃないか。その前に、それが必要かどうか、みんなでじっくり話し合おう」との意見がでた。
 日本側にしても、コロニアがバラバラのまま立派な箱を作りたいと提案されるより、例え時期は遅くとも、固い総意の元に持ち込まれるプランの方が応じやすいのではないか。
 では、「本当の総意」を得るためにはどうしたらいいか? コロニアの〃元老〃野村元下議がついに問題解決に乗り出したことを重く受け止めたい。 (深)

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