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インドネシアスマトラ沖大地震 被災地でボランティア救護活動=宮坂医師ら1カ月間=「すべてを失った人を前に 言葉が出て来なかった」

4月12日(火)

 全てを失った人を前に、言葉が出て来なかった。医者として、何をすべきか?自身の使命感を改めて、考えさせられる毎日だった。昨年末のインドネシア・スマトラ沖大地震。周辺国を含めて、三十万人近くの死者・行方不明者を出したといわれる。サンパウロ連邦大学医学部救急医療学科の宮坂リンカーン客員教授(内科医、二世、48)が、ブラジルのNGO組織「AME」に参加。去る一月二十三日から二月十九日までの約一カ月間、被災地で医療ボランティアに携わった。
 「医薬品はあるけど、医者がいなくて多くの被災者が死んでいる」。
 今年一月××日。宮坂医師のもとに、一本の電話が入った。NGO組織「AME」の創立者の一人、マルガレッタ・アディワルダナさんからだった。
 アディワルダナはインドネシアからの移住者で、東ティモールで孤児などを支援している人物だ。
 十六歳で交通事故に遭って、命の儚さを知り、医学を志したという宮坂医師。SOSの声に即座に応じ、身重の妻セルマさん(二世、40)を残して、現地に飛んだ。
 インドネシア最大の被災地、ナングロ・アチェ州。州都バンダ・アチェを拠点に、十二カ所ほどの村落や避難キャンプを巡回。道路や橋が寸断され陸の孤島になった、同州西岸のチャランにも足を運んだ。
 家族や財産を失って途方に暮れる市民、心的外傷に苦しむ患者、そして被災孤児になった子供たち。緊急事態を脱していたとは言え、悪夢は続いていた。
 「神の祟りだ。私たちの生き方を変えないといけない」。宗教指導者はそう言って、祈りを捧げていた。滞在中にマグニチュード6・2の余震が襲い、津波がまた来ると、市民がパニックに陥った。
 「被災者に、どう声をかけて良いか分からなかった。全てをなくした人に話を聞こうとしても、何もしゃべってくれない」。
 日本で在日ブラジル人のメタルヘルスの調査を行ない、精神ケアーに携わった宮坂医師だが、現地の惨状に青ざめた。「こんな短い間で、治療することは不可能。じっくり時間をかけないと。でも、医者がいるかと言えば…」。
 整骨医、内科、歯科、看護婦、通訳の五人でチームを結成。通訳以外はブラジル人で、歯科医は、同じく日系のクニヒロ・ダニエルさんだった。
 アチェ州と言えば、ゲリラ「自由アチェ運動」(GAM)が活動することでも、悪名高い。「巡回前に五人が殺されたといった、話も伝わってきた。危険地帯だからか、政府も村のデータを出してくれない」。
 ある村落では「これまでの歴史で初めて、医者が来てくれた」と喜んでくれたという。
 AMEはこれまで、三チーム計九人を被災地に派遣。宮坂医師は二番目のチームに参加した。「日本、アメリカ、ロシアなど全世界から、救済チームが訪れている。異なった国の人が力を合わせて、活動しているのは、すばらしいことだ」と思った。
 帰国して約一カ月半後の今月四日。息子が生まれた。上二人が娘なので、初めての男の子だ。義に忠実であってほしいと願って、「忠義」と命名した。

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