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パラナ州でコチア青年の貢献を見る=サンパウロ組、仲間たちと交流=連載(5)=パラナ州最大の養鶏場=わずかな自己資金で内野さん

4月14日(木)

 クリチーバの近郊アラウカリアAraucariaにパラナ州最大規模といわれる養鶏場を持つコチア青年がいる。内野四郎(長崎県、一次六回)だ。GRANJA SHISAという社名を持つ養鶏場で、常時三十万羽を飼育し、約八十名の従業員を雇用している。
 SHISAのSHIは四郎のSHIながら、SAは共同経営者の頭文字だ。現在は全部の株を自分で保有しており、共同経営ではないが、かつての共営者に敬意を表してSAを残しSHISAのままにしているという。
 ブラジルの土を踏んだ最初は、サンパウロ市近郊のバルジェン・グランデの農場で三年半、ぶどう栽培に取り組んだ。その後、サンタ・カタリーナ州ジョインヴィーレで一年半を過ごし、一九六二年に今の場所に移ってきた。当時は単身だったが、しばらくしてクリチーバ生まれの日系二世を妻に迎えて現在に至っている。
 最初は資金もなく、着のみ着のままのような状態であったが、遺産の委譲を受けない、という条件で父親から元金を協力してもらい養鶏場を始めた。この分野の知識も経験もなかったので、本を読んで勉強した。養鶏を始めた主な理由を二つ挙げている。
 ニワトリには言葉の必要がなかったことと、僅かな元金でも、頑張れば工業の水準まで伸ばすことができる、ことだ。
 当時、コチア産業組合の育雛場がクリチーバにあったことも理由の一つで、ヒナをその育雛場から購入した。六〇年代の当初のアラウカリア一帯は林の中で、二十五アルケール(約六十ヘクタール)の土地を購入したが、近くを電線が通っていなかったため、自己資金で電気を引き込んだ。ところが、この一帯は今、市街区域に指定され、「先住民」なのに安泰ではないようだ。飼料は全部購入しているが、自分流に配合しているのが特徴だ。
 鶏舎は高床式を採用し、糞は頻繁にトラクターで集めている。鶏舎の下には多数のアンゴラ鳥がおり、ウジなどを食べている。鶏舎に入っても臭気が少ない。鶏舎の周囲にはヒツジが多頭いて、雑草を食べている。自然と一体となった養鶏方式、と形容しても過言ではないようだ。八三~八五%の産卵率を維持するようにしており、それ以下になると廃鶏として業者に売り渡している。集めた糞は有機肥料に加工して、これも販売している。無駄がない。製品のタマゴは販売しているが、州都クリチーバの人口は二百万人近くあり、需要は十分だ。
 単身、仲間のいない土地に飛び込み、四十年余かけてパラナ州随一の養鶏業者となり、僅かな元金でも工業の水準に持ち上げることができることを立証したコチア青年の晴れ姿だ。
 夫人の内助の功もあったはずだ。が、コチア青年連絡協議会の交流団一行を養鶏場に迎えた時は、淡々とした姿勢と表情で気負いはまったくなかった。古希を過ぎてもう七十三歳。仕事にかける情熱は一向に衰えていない。感動し、歓喜し、学びの多い交流の旅は、四月二日夜、この旅で最後の交流の地・クリチーバに着いた。つづく(文中、一部敬称略)

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