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「みんなここで大きくなった」=ヴァルゼングランデ日語校が創立70周年=「同窓会」に5百人=家族3世代で祝う姿も

2005年7月22日(金)

 ヴァルゼングランデ日本語学校の創立七十周年記念同窓会が十七日、同文協の体育館で開かれた。歴代の教師や生徒など約五百人がかつての学び舎に集合、懐かしい顔との再会を喜んだ。戦前に誕生し、戦争をはさんで今日まで歴史を刻んできた同校。親から子、孫まで三世代の同窓会は終日、なごやかな雰囲気に包まれていた。
 現在までの卒業生は八百人以上、歴代の教師は九十人に上る。開催にあたり、同文協では十年ごとの卒業生代表による委員会を組織して恩師、卒業生への連絡に当たった。当日は十七人の現役・元教師をふくむ約五百人が出席。聖南西地区からの参加に加え、パラナ州やミナス州から訪れた卒業生もいた。
 会の冒頭、飯田勇文協会長のあいさつに続き、これまでに亡くなった関係者に一分間の黙祷。文協元会長の黒本信之さんが同校の歴史を振り返った後、同校の続橋真知子校長が現在の日本語学校の活動について話した。卒業生を代表して樋口直人さん(81)の音頭で乾杯。昼食に移り、参加者は思い思いの時を過ごした。
 老若男女が入り交じった会場。現在学校に通う子供もいれば、元先生より年長の元生徒がいる。壁には卒業生名簿や歴代生徒が描いた絵が飾られていた。
 二九年に入植が始まったヴァルゼングランデ。コチア方面からの入植増加にともない三二年には日本人会が設立された。日語校はその二年後に開校している。
 初代の教師はレジストロから入植した海老名行三さん。海老名さんは野球の指導にも力を入れ、三七年には同地ではじめての野球チームが誕生した。
 「僕は最初のキャッチャーでしたよ」。乾杯の音頭を取った樋口さんは三七年、同校に入学した。「家庭の都合でね、一年しか通えなかった。勉強は好きでしたよ。楽しかった」と往時を振り返る。
 四一年十二月、政府の日本語禁止令により同校は閉鎖された。当時三年生だった古川浩さん(73)は、教室で先生から「今日限り」と告げられたことを覚えている。
 校舎はブラジル校に替わった。日本語の本を持っていることが知れたら警察に連行される時代。子弟の教育を続けたのは父兄たちだった。
 「夜、農家の人の家に集まって勉強しました。日が暮れてから隠れて行ってね。だいたい四、五人でした」。入学から一年で日語校が閉鎖されたという玉木重幸さん(71)はそう語る。作文や図画、宿題もあったという。授業の間、親たちが外を見張った。
 同校は戦後、四六年に再開。四八年には遠方に住む児童のため寄宿舎が建てられた。聖南西地区から集まった子供たちはここで暮らし、ここから中学、高校へ通った。車の便が良くなる以前は、家には月に一度帰るぐらいだったという。
 同校十代目の教師、森村吉蔵さん(71)は五六年に渡伯。五七年から三年間、同校で教えた。「学校に通えない子供もいましたが、親は無理してでも学校へやっていました」と当時を振り返る。森村さん以前の九人の教師はすでに亡くなっている。
 「生徒が喜んで通う学校でした。それは今でも変りませんよ」、森村さんの教え子である黒本元会長は母校への思いを語る。「日本語学校の方が好きでしたよ。仲間がいるし、ここに来れば自由に遊べたからね」。現在、黒本さんの息子が同校に通っている。
 昼食を終え、舞台では現在の日本語学校生徒による出し物が披露された。合唱、YOSAKOIソーラン。小さな「後輩」たちに大きな拍手が贈られる。続いて舞台上で記念撮影。かつての生徒たちが学年ごとに並び、写真に納まった。
 数度の増築を経て、寄宿舎は八五年まで続いた。最初の建物は現在、カラオケの練習場に使われている。
 六〇年代の最盛期には三百人を数えた同校。現在は五十四人の子供が通う。続橋校長は「子供が楽しめる場所を作ること。そうすれば生徒は増えると思います。歴史のあるこの学校を守っていきたい」と語る。
 「たくさんの人に来てもらって良かった」、会が終わり、飯田文協会長はほっとした表情を見せた。「移民の思いが作り上げた日本語学校をこれからも続けていくこと。それは私たちの使命だと思います」。
 「ここで大きくなったんですよ」、同窓会の片付けが進む会場で、海老名松雄元会長は語った。「日系人の中で、日本的な考え方で育った。今でも僕の中には日本的な考え方がありますよ。ただ、社会に出た後、ブラジル的な考え方や習慣の違いで苦労した人もあったかもしれない。僕がそうだったから」。
 夕方、同窓生たちが会場を後にしていく。何人かに感想を尋ねた。みな「良かった」と口をそろえる。サンジョゼ・ドス・カンポスから来たという男性に聞いた。「懐かしい人に会えましたか?」「ほとんどだよ」と満面の笑顔を見せた。

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