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被爆60年=サンパウロ市で犠牲者追悼法要=恒久平和への〃戦い〃誓う

2005年8月9日(火)

 在ブラジル原爆被爆者協会(森田隆会長)は広島原爆忌の六日、サンパウロ市サウーデ区シャカラ・イングレーザ地区の西本願寺で被爆犠牲者追悼法要を営んだ。被爆者ら二十数人が参列。犠牲者の冥福を祈るとともに、恒久平和のために戦っていくことを改めて誓った。今年は、被爆六十年の節目。同協会は、被爆者の体験談を集め書籍として刊行する予定だという。
 午前八時十五分。釣鐘の音が本堂内に響くと、参列者は一斉に手を合わせた。仲尾信博西本願寺ブラジル別院開教使が読経する中、焼香が行われた。涙を手で拭う人の姿もみられた。
 広島での式典に出席するため訪日した森田会長に代わり、堀岡貢さん(75、広島県出身)があいさつ。「戦争というものを起こす人間は情けないと思う。平和のために一生懸命がんばりたい」と述べた。
 さらに法要後、記者らに対し「仕事に取り掛かろうとした時、青白い光が走った。避難しようと駆け出したけど倒れてしまい、ガラスの破片などで顔や胸にけがをした。それでも、重症患者がたくさんおり、救護に奔走した」などと生々しい体験談を語った。
 森田会長の娘、綏子さん(58)によると、今年は六十回目の記念日ということで取材攻勢に遭い、ポルトガル、イギリス、コロンビアなど海外を含めて約四十社から問い合わせが入った。
 同協会は被爆者に体験談を綴ってもらい、書籍としてまとめるつもり。百四十人の会員のうち、既に二十人ほどが原稿を送付した。ポルトガル語版も出す予定で、同会長の息子マルコスさんが翻訳中だ。
 原稿を執筆中の岡田公生さん(82)は「私は満州で生まれて、ブラジルに渡伯した。日本の学校で学ばせたいという親の希望で、四〇年に、帰国。そして被爆した。今の若い人たちは、私たちの思いを聞こうともしない」と唇を噛んだ。
 綏子さんは「書き出したら止まらなく人がいる反面、高齢や病気のため執筆出来ない人もいる。聞き取りをして、胸の内を伝えたい」と話している。

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