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本紙記者がのぞいた=パラグアイ日系社会=来年移住70年=連載(3)=弓場バレエ団に感激=ピラポ移住地45周年祝う

2005年8月19日(金)

 パラグアイ第二の都市、エンカルナシオンから国道六号を直進。多くの日系団体が集中するピラポ市街地へ通じる道路の入口にアーチが掛かった。
 「突風で飛ぶんじゃないか」「何でピンク色なんだ」。日本人会の幹部に冷やかされ、永見アンドレス市長は巨躯を折り曲げるようにして笑った。
 ピラポ移住地は今月、入植四十五周年を迎えた。大統領も出席した式典に続いて、移住地内に建設された上手橋の落成式、相撲大会にEXPO、歌謡ショーなどが目白押し。約一週間の間、移住地は喜びの声に包まれた。
 「こんなの作っちゃったら、五十周年の時がこわいな」。誇らしげに笑うある役員が見上げるのは、文化スポーツセンター。落成式は関連行事のなかでも目玉となった。
 約二千四百平方米の会場は、サッカー場としても利用され、舞台も本格的に仕上がった。総工費は約二十五万ドル。
 「こういうものを作る意気込みのあるコロニアは受け入れ方が違う。着いた時にそれを感じて気持ちが良かった」と弓場農場の矢崎正勝さんは大きくうなずいた。
 六日夜行われた弓場バレエ団の公演。八六年の移住五十周年で行ったアスンシオン公演以来、二回目の訪パとなった。
 約千人以上が舞台を見つめ、フィナーレでは万雷の拍手が鳴り止むことはなかった。
 弓場農場自体を知らなかったというピラポ在住の堀内美春さん(26、二世)は「パラグアイではあまり見られないもの。凄くよかった」と感激した面持ちで感想を語った。
 公演後、歓迎会が行われた日本人会館二階からは笑い声と歌声が響いていた。
 ギターを弾き、ブラジル、日本の歌を合唱する青年たち。顔を赤く染めたかつての開拓者たちが相好を崩しながら、酒を注ぎ合う。
 「地元の人や年配者を含めた千人以上が感激したのを見て、本当に嬉しかった」と興奮冷めやらぬ様子のピラポ日本人会の水本凉一会長。ビール片手に、大満足の面持ちを見せた。
 移住地同士、持っているものは一つ。ピラポと弓場が今回の機会を通じて交流を深め、何かに繋げていければ――。開拓当初と移住地の将来が交錯する。
 ホール建設にも助力、今回のピラポ公演に全面協力したサンパウロ在住の園田昭憲さん。
 第二の故郷であるピラポに弓場バレエ団を紹介できたのは大きな喜び――。少年時代を過ごした移住地への愛着は強い。懐かしいピラポ特製のうどんに舌鼓を打った。
 公演を行ったホールの地下は移住地初の宿泊所として利用するため、これから工事が予定されている。
 「ホテルがないということでベッドまで作ってくれた。気合を感じた。色んなところを回ったなかでも、一生懸命さをすみずみから感じた場所だった」とバレエ団の小原明子代表。
 「素晴らしいイベントに呼んでもらった」。移住地の誕生日を共に祝えた喜びを噛み締め、バレエ団は「喜びの歌」を合唱した。
 弓場農場は現在、ゴイアバ収穫の真っ最中。バレエ団総勢四十三人。
 「公演ではいつものこと。皆が弓場を守ってくれる」。祈ること、耕すこと、芸術すること――。弓場精神は健在だ。
 弓場バレエ団の次回公演は、パラグアイ日本人移住七十周年記念行事として、来年アスンシオンが予定されている。
 国を超えた新しい出会いと感動がまた生まれることは間違いない。
    (堀江剛史記者)

■本誌記者がのぞいたパラグアイ日系社会=来年移住70年=連載(2)=ラパス移住地今年50周年=式典には大統領や田岡功大使も

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