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県連「念願かなった」=選挙区投票実現へ=82年来の運動実る=議員と積極交流計りたい=聖総領事館「課題は情報公開」

2005年9月15日(木)

 在外邦人の選挙権行使を制限する公職選挙法の規定を違憲とした最高裁判決を受け、日本政府は十四日、在外邦人の選挙区選への投票を認める方針を固めた。二〇〇七年夏の参院選にも実現する見通しだ。在外選挙の動向を常に注視してきた網野弥太郎・前県連会長らはどう見るかーー。これまでの経緯を踏まえ、展望と課題を探る。
 アメリカ、フィリピンなどに住む邦人からなる原告団が提訴したのは一九九六年十一月。「海外最大の日系社会」のあるブラジルから原告団への参加者はおらず、また、一、二審は敗訴したが、九八年の公職選挙法改正で衆参の比例選に限り在外選挙が認められ、今回ようやく衆院選挙区と参院選挙区についても実現することが決まった。
 「党だけではなく、議員個人も選べるようになる。今後来伯する議員の一言一句にわれわれはより注目し、議員の態度も変わる。双方に影響が大きい」
 網野氏はそう指摘する。 九四年、県連の会長時に在外投票権を求める署名運動を先導し、七千五百人分を自治、外務両省に提出した。それが今日を導いた大きな原動力になっている。
 翌年九五年にはアメリカ、オーストラリア、カナダなどで暮らす邦人らと連係し、海外日系人ネットワークが構築され、要求運動が本格化。サンパウロの邦字紙が全議員を対象に在外選挙権の是非を問うアンケートを実施するといった動きに発展していった。
 ただ、県連として実現に向け活動し始めたのはそれ以前の八二年に遡る。藤井卓治会長(当時)が県連総会で既に議題として取り上げ、ときの外務大臣に要請していると網野氏はいう。
 こうして運動の先頭を切り、長年にわたって日本側に実現を働き掛けてきたものの、投票権の制限は違憲だとして国を訴えた原告団には不参加を貫いた。
 これについて、網野氏は「わたし個人としては入りたかった。だが、当時会長を務めていた県連では『そこまでしなくても』『損害金を明示できない』といった論調が優勢だった。それで諦めた」と振り返る。
 原告団とは共同歩調を取れなかったが、「おかげさまで念願が叶った。選挙人登録も増えるだろう」と、現県連の中沢宏一会長は感謝する。政府方針の決定を受け、網野氏と相談した結果、県連内に設置されている在外選挙委員を近日中にも招集することを決めた。
 「待っているだけでなく県連、県人会の方から積極的に議員の考え方や日本の今後について意見交換していき、より密接な関係を築く」(網野氏)ことを念頭に置いた話し合いを進めていきたい意向だ。
 一方、今判決は大きな前進とはいえ、「ゴール」とはいえない。選挙人登録、あるいは直接投票したいが公館が遠いので諦めざるを得ない、郵便投票の手続きが煩雑だといった思いが、海外有権者の気持ちの中では依然として残っている。
 「認められる方向にあると思っていた。心の準備が出来ていた」と明かすサンパウロ総領事館の担当領事は、「具体的な対応策は本省からの連絡待ちだが、郵便投票に関しては簡素化される方向で検討されるのではないか」と予測する。
 一方、公館側の大きな課題となりそうなのは情報公開だ。各候補のプロフィールや主張といった投票判断に必要な情報を、公示から投票までの限られた期間内に方々に散らばる有権者に行き渡らせなければならない。サンパウロ総領事館の管轄区は日本より広い。
 「これまで選挙区投票が認められてこなかった理由の一つにはこの問題が足かせとなっていたことがある。努力はするが。最後は各地域の文協頼みになるかも……」。

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