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日本に負けない小学校だった=バストス第一小学校=創立70周年式典開催へ

2005年10月20日(木)

 バストス第一小学校同窓会(三宅熙会長)の創立七十周年記念祭が十一月六日午前十時から、ブラジル三重県人会館で開かれる。一九二八年の移住地開設ととも開かれ、戦前のバストスに歴史を刻んだ同小学校。開催にあたり、同窓会の関係者は、卒業生だけでなく、ゆかりの人たちに広く参加を呼びかけている。
 七十周年の案内のため本紙を訪れたのは、三宅会長のほか、西徹名誉会長、総務の島田澄子さんと同補佐の高橋美代子さん。高橋さんのほかは、みな第一小学校の卒業生だ。
 ブラ拓が開設した移住地として、最盛期には一万二千人が暮らした。戦前は十八の区に分かれ、中央区にあった第一小学校のほか、各地区にも小学校が。バストス全体の卒業生は六百人以上に上るという。
 第一小学校は一九二八年、移住地内の収容所で師範学校出身の松本高信教諭(故人)が子供たちを教えたことに始まる。校舎はやがてレンガ造りに変わり、「日本に負けない小学校」として熱心な教育が行なわれた。「毎日四キロ半歩いて通ったものですよ」と三宅会長。
 バストス市長をつとめた西さんは二九年に一家で入植、三六年に同小学校を卒業した。「あの頃は友達とパイネイラの木陰で『少年航空兵に行こう』などと話したものです」と当時を振り返る。
 戦前の外国語禁止の波はバストスにも及び、三八年ごろには、学校で教えられていたのは算術と読み書きだけだったという。「学校で千人針を作ってね。日本に送りましたよ」と語る島田さん。この年が最後の卒業生となった。
 戦争中の学校閉鎖を経て、同校は戦後、別の名前に変わった。その後、現在まで同窓会のきずなは続いている。
 第一小学校の同窓会は三六年に発足。同会ではこれまでにも、五年ごとに記念の集いを開催してきた。そのほかに毎月サンパウロで開く例会には今も三十人前後が集まる。
 同窓会の創立から約七十年。当時の卒業生たちは高齢になり、亡くなった人も多い。二十人いた教師のうち最後まで健在だった若松善美さんが今年亡くなり、往時を知る教師は全員亡くなった。
 同窓会では今回、卒業生だけでなく、ゆかりのある人たちに広く参加を呼びかけている。当日は七十人ほどの同窓生のほか、全部で百人程度が集う予定。バストス在住の関係者も招待するという。
 当日は物故者の慰霊行事のほか、記念の昼食会やビンゴ、演芸会などが開かれる。昔を懐かしむ映像なども上映される予定だ。
 来社した皆さんは「連絡が届いていない方もあるかもしれません。同窓生やバステンセの皆さん、ゆかりの方、ご家族の皆さんに一人でも多く来ていただきたい」と参加を呼びかけた。
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 式典は十一月六日午前十時から三重県人会館(Av.Lins de Vasconcelos,3352)二階のサロンで。
 参加費は一人三十レアル。昼食の準備等の都合があるため、事前に申し込んでほしいとのこと。
 申し込み、問い合わせは、電話5571・4207(島田)、6451・5814(三宅、夜間)、3289・9093(高橋、夜間)、4075・2441(白井務)まで。

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