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戦後移住50周年=USP植樹記念碑を序幕=「日伯友好のシンボルに」

2005年11月1日(火)

 戦後移住五十周年を記念して二〇〇三年から植樹された桜とイッペーは、あわせて約五千二百本にものぼる。ブラジル・ニッポン移住者協会(小山昭朗会長)は、発足当初から計画していた「戦後移住五十周年植樹記念碑序幕式典」を二十八日(金)午前十時半からサンパウロ大学内の夕陽丘で開催した。会場には関係者約四十人が集まり、日伯両国植樹協力者七百三十六人の名前が刻み込まれた碑を前に完成を祝った。
 高橋一水副会長が開会の辞をのべたあと、小山会長は「日伯友好のシンボルとして植樹してきた。これも皆さんの協力の賜物です」と感謝し、「百周年に向けては、公共の場所などに全部で一万本植樹を目標にしていきたい」との希望を語った。
 逢坂和男南米神宮宮司が序幕の儀を務める中、各団体代表者六人が「1、2、3」の掛け声と同時に碑にかけられた幕をおろした。
 その後、上原幸啓文協会長、沖田豊穂領事、ソニア・バゼーラ・カステラサンパウロ大学博士が挨拶。JICAサンパウロ支所の石橋隆介次長は「植樹された木が今後の日系社会を見守っていくでしょう」と話した。
 また、植樹に大きな協力をした長嶺スケテル・サンパウロ大学技術員に小山会長から記念品が贈呈された。アルモニア学生寮からは響楽座が訪れ、太鼓を披露した。最後には、完成を記念して、桜とイッペーが碑の近くの広場に一本ずつ植樹された。
 桜の苗木はアチバイアで農場を経営する中沢宏一県連会長、黒木政助元コチア青年会会長が寄贈した。現在までにオザスコ市、ラッパ区、ピニェイリーニョ・デ・アグア公園、エンブー市などに植樹された。同大学内だけでもイッペーもあわせて約二千本が育っている。今年、八月末にはチエテ川のセボロン付近にある三千平方メートルの島にも五十本の桜を植えた。
 山城勇植樹管理理事は「毎月一回、管理をしているけど大変。何者かに苗を切られたこともあるし枯死させたこともあった」と振り返る。今後は、すでにサンパウロ州政府から許可がおりているチエテ、ピニェイロス川両岸と同大学内競艇場近くのビラ・ローボス公園に植樹をしていく予定だ。

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