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記念誌どう編纂=青年ボランティアら情報、意見交換=将来に残せるものを求めて=経験者の意見も聴く

2005年11月17日(木)

 南米各地のJICA青年ボランティア(以下、青ボ)などの記念誌編纂担当者が集まる研修セミナーが八日から十二日まで行われた。九日は一般公開され、約十人が傍聴に訪れた。アルゼンチン、パラグアイ、国内ではパラー州ベレンなどからも参加者が集まり、お互いの情報や意見を交換したり、編纂経験者などからコメントを聞いた。
 九日午前八時から事例発表したバストス八十周年史にたずさわる中村茂生さん(青ボ)は「記念誌は歴史である」「実証性を重視しつつも読まれるものを」「五十年後にも使用してもらえるものを目指したい」という強い思い、編纂委員会を組織して作業を進めている点、高めた気持ちを維持する工夫、資料編・民俗編・索引など使いやすい形にする考えを語った。
 これに対し、コメンテーターのサンパウロ新聞社の鈴木雅夫編集局長は、進行役となる青ボが二年で帰ってしまい、その後中途半端になる可能性を指摘。加えて「どの移住地にも書きづらい歴史が一つはある。その点をどのようにバランスをとるのか」「今までのコロニア側通史には日本の送り出し側史料が参照されずに書かれているものが多い」などとコメントした。
 『バストス二十五年史』(五五年)を実際に編纂した水野昌之さんも出席し、「実証的で面白いというのは本当に難しい。二十五年史のころは幾らでも資料があったが、現在、いろいろな人の記憶から探り出してつくるのは容易ではない」と釘をさした。
 続いて、リオ移民百年史の編纂に関わる関根亮さん(青ボ)の報告。「これまで総括的な移民史を作ったことがなかった。いま散逸著しい史料を収集する学術的価値はもちろん、日系社会を盛り上げる一助になると確信している」などと編纂意義を語った。
 パラグアイ移住七十年史に関して鹿沼隆宏さん(青ボ)は、一世最後の移住史として日本語のみの編纂をしており、「若い世代が親しみやすいよう写真と文章からなるアルバム形式にする予定」と説明。人文研の宮尾進元所長は「写真中心だと地域の人には良いが、発展の歴史が良く分かるものにするのは難しい。その点、記念誌と移住史は違う」との指摘があった。
 続いて、汎アマゾン日伯協会の堤剛太事務局長が『アマゾン日本人移住六十年史』(日語、九四年刊)などを編纂した経験を報告。傘下の二十二移住地・団体を訪れ、記念誌としては珍しいルポ形式にした経緯を語った。「資料には間違いが多い。必ず複数の文書で確認すること。特に当時のブラジルの新聞や官報にあたると良い記述ができる」とすすめた。
 また、パラー日系商工会議所の二十周年史にかかわる甲斐玲子さん(青ボ)の報告もあった。
 午後からは共同討議が行われ、「もう日本語で記念誌を編纂する時代は終わった。ビデオでインタビュー映像を残し、二世三世に見てもらう方がいいのかも」との問題提起や、「移住史を調べれば調べるほど日本史の一部だと感じる。もっと日本政府からバックアップがあってもいい」との要望も出された。
 最後に水野さんは「日本からきた人が、現地の人より積極的に取り組んでいることに驚いた。舞台は大きいが、めげずにがんばってほしい」と叱咤激励した。

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