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エンブラエル社の歴史と「電子介護」=今回も充実の講演会=商議所昼食会

2005年11月17日(木)

 ブラジル日本商工会議所(田中信会頭)の定例昼食会がホテル・ソフィテルで十一日行われ、ブラジル最大の航空機メーカーであるエンブラエル社のオジーレス・シウヴァ元総裁や、NHKの相田洋(ゆたか)元ディレクターらが講演した。
 サンパウロ州バウルー市に生まれたシウヴァ氏は幼いころから日系人が回りにたくさんいたと懐かしむ。空軍将校時代にアマゾン上空を飛行したことを振り返り、「とても魅惑的な経験だった」と語った。
 一九六〇年代、「総ての危機にはチャンスがある」を念じ、航空大国アメリカの間隙をぬって、ブラジルで航空産業を誕生させるにはどうしたらいいかに頭を悩ませた。航続距離の短い十五~十六人乗りの小型機の生産を思い立ち、友人らを説得。「批判を受ける計画ほど市場での競走は少ない」と信じて注力した。
 六九年たまたま、大統領がサンジョセ・ドス・カンポス空港に立ち寄った偶然の機会を逃さず〃洗脳〃に成功し、同年にエンブラエル社立上げに成功した。
 コーロル政権のころは破産の瀬戸際に立った。その難関を生き抜き、「市場の隙間をみつけ、可能性を信じて邁進した。現在では日本をはじめ、世界六十カ国に輸出するまでになった」と振り返った。
 続いて、六十九歳の相田氏は「電子介護」をテーマに、九十四歳の母親を実際に介護する経験談を語った。七年前に近所の銀行が撤退したことがきっかけで突然、母親の記憶が曖昧となり、食べたばかりの食事すら忘れるようになったという。
 車で四十分離れた母親宅にテレビ電話を三台自分で取り付け、画面で行動を遠隔監視しながら、自宅で仕事をする工夫など、最先端機器を駆使した独自の「電子介護」法をユーモアたっぷりに講演した。
 そのほか、山田唯資(ただし)幹事会議長から第3四半期会計監査報告と、常任理事会選挙への投票の呼びかけが行われた。今月八日に立候補は締め切られ、十八日午後五時からの臨時理事会で選挙が実施される。その場で集計され、来年一月からの新理事会が承認される見込み。
 岩村哲夫環境安全対策委員長からは、会議所サイト(www.camaradojapao.org.br)に新しく「安全情報」「ブラジルでの一般生活情報」などが掲載された件が報告された。「本社に連絡してもらい、出張者に事前に読んでもらったらいいのでは」と提案した。
 会社代表交代あいさつではJFE Shoji Trade do Brasil社が林卓也氏から薮崎清氏に代わった。新入会員ではMercer Human Resource Consuling Ltda (Roberto Ozelin)、Posadas Sudamerica Empreen dimentos Hoteleiros Ltda (Paulo Guarani)、Maceio Hoteis e Turismo Ltda(谷広海)=敬称略=が紹介された。

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