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JICA医療指導プロジェクト=藤巻さんの功績称えて=カンピーナス大学の講堂に名を残す=80年代から研究10年=研修生の日伯交流も推進

2005年12月02日(金)

 JICAプロジェクトとして一九八六年から約十年間、カンピーナス大学で医療技術指導、機材提供に尽力した藤巻雅夫さん(新潟県出身)。去年十一月、七十二歳で他界した。その多大な貢献を称え、同大学ガストロクリニカ専門棟内に「藤巻雅夫講堂」を建設。その除幕式が十一月二十二日午後七時から、同大学内で行われ、関係者約七十人が出席した。妻の篤子さんもこの日のために日本からかけつけ、亡き夫の功績を偲んだ。
 最初のプロジェクトでは消化器専門のセンターを創設し、研究を進めた。当時ブラジルでは珍しかった胃カメラなどの最新医療機器を日本政府の援助を得て寄付した。同プロジェクトは五年の契約だったが、「次もここの大学で研究を続行してくれ」という関係者の要請で、さらに五年間の研究に励んだ。
 次の計画は肝炎やエイズなどの研究で、日本から研究者などの受け入れを担当している山中アデマール消化器官主任教授が研修をした経験がある千葉大学と提携、医療技術の指導をした。藤巻さんは年に一、二度ほど来伯し、大半は日本で過ごしたが、富山医科薬科大学の教授ら研修生延べ述べ約百人も研究に携わるなど、カンピーナス大学の医療技術向上に尽力した。カンピーナス側からも教授など指導者を派遣し交流を推進した。藤巻さんは当時、研修生を「勉強するだけでは印象に残らないだろう」とスキー場に連れて行ったりしたという。
 藤巻さんは、去年十月には日本政府から瑞宝中授章を授与されるなど、高い評価を受けている。同大学でも最初の手術をした時、その技術を見ていた研修生が全員、頭を下げたという逸話がある。
 現在、眼科医である妻の篤子さんは来伯三度目。「この大学に藤巻の名前が残るって聞いただけで飛んでいかなきゃって思った。実際、式に参加して、みんなが夫のことを称えてくれていると思って涙が出た」と感動を表す。式典当日は、藤巻さんのスライド写真を眼前に、夫を偲んで「悲しい酒」「愛の賛歌」を歌ったという。
 藤巻さんが来伯するたびに世話をしていた富山県人会は、今回、篤子さんの歓迎会を行った。林忠夫事務局長は「県人会にとってもアカデミックな話ができてよかったよ」。篤子さんは「本当に県人会の方々には感謝しています」と感謝を表し、「今回は私一人で来たのが悔しい。娘たちにも式を見て欲しかった。藤巻の講堂を通るたびに、みなさん、思い出してくれると思います」と感想を語った。

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