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『蜂鳥』の刊行続ける=富重かずまさんの遺志継いで

2005年12月21日(水)

 [一部既報]俳誌『蜂鳥』主宰の富重かずまさんは、去る八月下旬、肺炎にかかり、その後体力回復につとめていたが、去る十六日、急逝した。翌十七日、V・アルピーナで荼毘に付された。初七日ミサは、二十三日午後三時から、仏心寺(サンジョアキン駅下車)で行われる。
 『蜂鳥』誌の委員たちによると、同誌十一月号はすでに印刷所にまわっており、近々発行される。十二月号分の投稿もおおよそ集まっているので、委員たちで発行する意向。また、来年以降も委員たちが相談の上、灯を消さないよう、富重さんの遺志を継いで、発行を続けていきたいとしている。
 『蜂鳥』は、来年二月号で創刊二十周年になる。三月初旬記念大会を行う予定をくんでいたので、そのとおり実行するという。その際、誌友一同の合同句集も出版される。
 さらに日本で刊行準備中の富重さんの第二句集『蜂鳥』も、遺句集になったが、同時に出す予定。日本で富重さんを知る人たちは、急逝死を惜しんでいるといわれる。
 富重さんの俳歴はつぎのとおり。五三年(三十三歳)「菜殻火」に拠り野見山朱鳥に師事、同人、誌友賞、新風賞、年間賞、菜殻火賞を受賞、五九年ブラジル渡航、「木蔭」に拠り佐藤念腹に師事、八三年日伯毎日新聞俳壇選者、引き続きニッケイ新聞選者、八六年三月月刊俳誌「蜂鳥」創刊、九一年「耕」入会、加藤耕子主宰に師事、「耕」名誉同人、九二年俳人協会会員、九三年俳人協会評議員、国際俳句交流協会終身会員、ブラジル日系文学俳壇選者、〇四年パウリスタ賞俳句部門受賞、〇五年愛知万博国際俳句誌祭選者。

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