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いのしし会=伝統の新年会=偉い人多い亥年生まれ=100人以上集まり交流

2006年1月25日(水)

 コロニアの「いのしし」が集合――。亥(いのしし)年生まれの人たちが集う「いのしし」会(西徹代表)の二〇〇六年新年会が二十日夜、サンパウロ市の三重県人会館で開かれた。今年で二十一回を数える同会。九十五歳になる「大亥」六人をはじめ、百十人あまりが訪れ、にぎやかな夜を過ごした。
 二十年以上の歴史をもつ同会が最初に開かれたのは一九八三年のこと。旧南米銀行の会長をつとめた故・橘富士雄さんを中心に六十六人が集まったという。以後、昭和天皇崩御の年とペルー日本大使公邸占拠事件が起こった年を除いて毎年開催されてきた。
 会の冒頭、物故者へ一分間の黙祷。その後あいさつに立った西代表は、会の歴史を説明しながら「二十一年間続いてきたのも参会者の皆さんのおかげ」と述べた。さらに、近沢宗貴さんなど旧南銀関係者を中心とした世話人を紹介。「世話人の方たちのおかげで百人以上が集うことができます」と謝意を表わした。
 「亥年生まれはリーダーシップがあって、偉い人がたくさんいます」と西さんは続け、一人一人紹介していく。この日は、植木茂彬元鉱山動力大臣や下本八郎元サンパウロ州議、佐々木陽明・浄土宗日伯寺開教総監など各方面の亥生まれが出席していた。県人会長経験者も多く、十人以上が出席した。
 今年九五歳を迎える「大亥」。この日は、蔵本亜嵯子さん、矢野コイトさん、磯辺貞子さん、林壽雄さん、輿水増雄さん、山川賢一さんの六人が元気に会場を訪れた。
 その一人、林壽雄さんの発声で乾杯。六人に記念品が贈られた後、一同記念撮影。その後、食事を囲んで歓談した。
 今年二十一回目を数えたいのしし会の新年会。最初に開かれた八三年以前にも、有志による亥年生まれの集まりが七六年ごろから開かれていたという。
 「昔は参加者の家で順番に開いていました。夫人の家庭料理を頂きながら。十年くらい続きましたね」と、当時の世話人だった内海博さんは振り返る。
 同じくその頃から参加しているという下本元州議。「昔はセントロのレストランで開いたこともありましたよ」と思い出を語った。
 会はその後、八〇年代中頃に現在の会と合併。あわせると三十年近く続いていることになる。
 他の干支では見られないほど長年続く、いのしし会。内海さんは、「集めるリーダーの力が大きいと思いますよ」とその理由を語る。また「亥生まれの人は、(呼びかけの)上手な人がいれば集まる。そういう意味ではおとなしいのかもしれませんね」とも。

「旧友に会えうれしい」
植木元大臣
20年前から出席

 二十年前から新年会に出ているという植木元大臣。「昔から知っている人、友達に会えるのがいいですね。サンパウロは大きいから、こんな機会がないと中々会えませんから」とリラックスした表情を見せていた。
 初代代表の橘富士雄さんの夫人、真嬉さんも毎年、新年会に参加している。「(橘氏は)たくさん人が集まった時は嬉しそうでしたよ」と開催当初を振り返る真嬉さん。「前の年に会った人にまた会うのが楽しみ」と会の魅力を語る。
 この日訪れた人の中には、年齢を感じさせない、若々しい「老いのしし」の姿も。
 二〇〇三年の世界マスター陸上大会で金メダルを取り、八十三歳の今も練習を続けるなど、今なお現役の成田輝雄さん。西代表に紹介されマイクを持った成田さんは、「誰でも年は取るけど、私は運動をしているせいか、とても元気です。皆さんも運動をされて元気でいてください」と呼びかけた。
 大亥の一人、蔵本亜嵯子さん。九十五歳の今もかくしゃくと、元気な姿で会場を訪れていた。「知らない人と知り合えるところ、和気あいあいとしたところが面白いですね」。健康の秘訣を聞くと「クヨクヨしないこと」と笑顔を見せた。
 会場ではビンゴも行われた。午後八時にはじまった会は十時過ぎまで続き、訪れた人たちは、年に一度の知友との交流を楽しんでいた。

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