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記者の眼■=百周年で交流ビザを

2006年3月14日(火)

 「今までの自分ではダメだ、ということを突きつけ続けられた一年だった。へこんだ(落ちこんだ)。でも、今では逆に闘志がわいてきましたよ」。日伯交流協会二十五期研修生の一人、山本悠介さんは力強く一年を総括した。
 現在まで六十数人もの研修生を送り出した上智大学。学生を送り出し、迎え入れた堀坂教授は卒論の指導などを通して、「ひとまわり大人になって帰ってきた若者の、生き生きとした反応に感銘を受けたことも度々あった」と成果を思い起こす。
 若者の交流の重要性に疑問をはさむ人は少ない。しかし、阻害する要因はいろいろなある。とりわけビザが取得しづらくなっている現象は、日伯交流協会がいったん幕を閉める理由の一つにもなった。山口事務局長は来社した折、苦渋の決断の一端を語っていた。
 「百年の計には人を植えよ」。交流協会のその精神は、広く共感を呼ぶものだ。一九七〇年ごろから新来者がほとんどなくなった移住者。新しい血ほど歓迎されるものがあるだろうか。
 百周年を機に、なんらかの形で、取得しやすい交流ビザの創設を果せないだろうか。両国の若者が、まずは一~二年の生活体験をする。実現できれば、全伯の日系団体が日本の若者を受け入れる制度を作る端緒にもなる。このような制度は多いほどいい。
 丸橋次郎首席領事は「国と国の関係は、人と人の関係に帰するもの」と語った。両国間には、世界最大の日系社会という財産があるが、それを有効に活かすためにこそ新しい絆が求められている。  (深)

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