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身障者テニスW杯、首都で=ブラジル人の豊かな「もてなしの気持」に感激=日本選手団が好成績=多くのハプニング克服

2006年5月24日(水)

 【既報】車いすで行なわれる「二〇〇六年ワールドチームカップ ブラジリア大会」が、去る一日から七日までブラジリア・テニス・アカデミー(A T B)で行なわれ、日本から選手、トレーナー、コーチ、介助を含め十二人が一日に来伯、十日に帰国した。大槻洋也監督は、帰国にさきだちブラジル人の「もてなそうとする気持」に感激、感謝でいっぱい、と述べた。
 同大会は、一九八五年、アメリカのアーバイン市で第一回(男子のみ)が開催された。翌年から女子の部も始まり、今回は第二十二回目。
 日本選手(男子の部)が初めて出場したのは一九八七年。女子は一九九二年の大会から、クァードクラスは、一九九九年からとなる。
 今年の大会で日本選手団は男子、女子、クァードの部門で出場した。下肢に障害がある選手枠の男子・女子の部門とは別に、上肢にも傷害がある人を対象としたクァード部門は、握力が無いためテーピングでラケットを固定しながら競技する。サリドマイド児として産まれたために手が不自由な選手は、電動車椅子を使用する。
 今年は、日本男子選手団が連続二十回出場したことで表彰された。
 試合結果は、男子が三十二カ国(約百人)中、五位。女子が十六カ国(約五十人)中、七位。クァードが七か国(約三十人)中、六位。
 来伯した日本車いすテニス協会、監督兼クァードチームのコーチの大槻洋也さんは、「試合会場は素晴らしく、現地ボランティアのホスピタリティーに感激と感謝の気持ちでいっぱいです」と感想を述べた。
 日本へ帰国時、ヴァリグ航空会社の急なキャンセルのため、日本選手団の帰国不可能になりかけた。また、アメリカのダラスでの乗り換えの際、スーツケースがブラジリアへ引き返してしまい、選手達の手元へ戻ってきた時には「Japanユニフォーム」や「デジカメ」などが紛失していたなどハプニングが続出した。そうした中、選手団は十日にブラジリアを発ち、十二日に無事日本へ帰国した。

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