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コロニア陸上の歴史を後世に=バストス史料館=トロフィー・メダル3百点=中島さん、梅田さんが寄贈

2006年9月14日付け

 戦後のコロニア陸上界で活躍していた中島一さん(北海道出身、76)と梅田正紀さん(76)がこのほど、当時獲得した約三百点のトロフィーやメダルをサンパウロ州バストス市の「山中三郎記念バストス地域史料館」に寄贈した。
 現在、インダイアツーバ在住の中島さんと梅田さんは共に、バストス市で青年期を過ごした。その間、二人が陸上競技で活躍、獲得した数々のトロフィーやメダルは数知れない。
 中島さんは五歳の時、家族で渡伯。パラー州カサネマを経てバストスに移った。
 陸上を始めたのは十四歳の時。「娯楽がなかった時代でした」と当時を振り返る。専門は走り高跳び。コーチもいない時代に日本の雑誌などを読んで独自に研究したという。
 〃天性のバネ〃に恵まれ、一メートル九十五センチの記録を持っていた中島さんだったが、当時は戦中戦後の混乱の時代。「勝ち組」であった父親から「いずれは日本に帰るのだ」と言われていたため、帰化のタイミングが遅れ、ブラジル代表として活躍する機会には恵まれなかった。
 三二年のロサンゼルス・オリンピック三段跳びで世界記録を樹立した南部忠平選手からは、「正式な指導を受ければ二メートル跳べる」とまで言われていたそうだ。しかし「長男だったこともあり陸上では生活できないと考え、それ以上のことは諦めざるをえなかった」。
 寄贈品の中には、一九四七年、戦後初めて開催された全伯大会で中島さんが優勝した際に獲得したカップや、その後十二年間連続で優勝を果たした記念カップなども含まれている。
 現在も陸上を続けている中島さん。最近ではハードルも始め、シニア大会に出場するなど活躍を続けている。
 同史料館学芸員でJICA青年ボランティアの中村茂生さんは、「盗難にあわないような展示方法を考え、年内には一般公開をはじめる予定です。とても盛んだった往時のバストス陸上を伝える展示になるでしょう」と寄贈を喜び、「今後もバストス関係者からこのようにしていろんなものが寄贈されることを史料館としては期待しています」と話している。

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